5月21日説教要約 |
用意されている神の平安 <ピリピ4:4~7>
牧師 鳥居 完次
創造主への反逆によって失われた「神(と)の平安」を回復させてくださるために、神は、御子イエス・キリストの十字架と復活による救いの道を用意して下さった。
1.いつも「祈る」ことを通して「神の平安」を持つことができる。神の平安は、時々刻々変化する状況に応じて用意され続けている。神は、御子イエス・キリストの十字架の代価を払ってその神の平安を私たちの下に届けてくださった<ヨハネ14:27、16:33>。
2.キリストが実際に私たちの内に残してくださった「キリストの平安」とは、如何なるものか。ゲッセマネの園での苦悶の祈りには<マタイ26:39>、まさにその時、主イエス・キリストが、父なる神ご自身の心の内にある思いを完全に共有できていたことが分かる。これこそが、キリストご自身が私たちに残してくださった「キリストの平安」、すべての理解を超えた「神の平安」である。それ故にキリストは、神と私たち人間の間を結びつける完全な大祭司としての資格を持っておられるのである<へブル5:7~10>。
3.「イエス・キリストの名によって」祈るように勧められている<ヨハネ16:24.33>。確かに、まさに<イザヤ41:13>で預言されている主こそ、十字架と復活を通して罪と死に対して完全勝利し、神との完全な平和・平安を回復させてくださった主イエス・キリストご自身のことである。その意味で、今や、互いに「主イエス・キリストの名」によって祈り合うことによって、たとえ、どんなことが起こっても、まさに「神の平安」を味わうことができる。実は、これこそが、主イエス・キリストを心の内に信じ共有しているキリスト者同士に与えられている、素晴らしい恵みなのである。