12月25日説教要約 |
~先主日のメッセージ要旨~
「主キリスト」(ルカ2章8~20節) 牧師 紺野真和
私たちは四回のアドベンド礼拝で旧約聖書に記されているメシアのしるしを見て来た。歴史順に並べると、アブラハム契約を通してメシアはアブラハムの子孫であること、ダビデ契約を通してメシアはダビデの子孫であること、預言者イザヤを通してメシアは処女からお生まれになる男の子でインマヌエルと呼ばれる方であること、預言者ミカを通してメシアはベツレヘムでお生まれになることである。そして、そのしるしの通りメシアであるイエス様がお生まれになられた。今日見るのはメシアの誕生における神様が最後に与えたしるしである。最後のしるしはベツレヘムで羊の夜番をしている羊飼いに与えられた「飼葉桶に眠っておられるみどりご」ということである。御使いはメシアを「主キリスト」と紹介していることは、とても大切なことである。主とは、ここではしもべに対する主という意味の言葉ではなく、旧約聖書にある太文字の【主】、ヤーウェである。この最後のしるし、【主】が飼葉桶に寝ておられるという事には意味があった。ヨセフとマリヤは、宿屋に彼らのいる場所がなかったから偶然家畜小屋での出産になったのではない。神様は皇帝アウグストゥスを動かしてメシアがベツレヘムで生まれるように導かれた方である。主キリストがローマ皇帝やヘロデ大王の宮殿ではなく、大祭司や貴族の家ではなく、家畜小屋の飼葉桶に眠られるということには意図があった。それは貧しい人も、富む人も、地位の低い人も、高い人もすべての人が主キリストの許に行くことができるためであった。当時、羊飼いは、貧しく、身なりは汚く、そして律法を守る事ができないので軽蔑されていた。彼らは家畜小屋であったから、主キリストが飼葉桶におられた故に会う事が出来たのである。今日、同じように主キリストはすべての人を招いておられる。
それでは主キリストがこの地上に来られた目的は何か。御使いと天の軍勢は「地の上で平和がみこころにかなう人々にあるように」と賛美した。平和をもたらすためである。平和とは神との平和そして人々の間の平和である。主キリストは十字架を通して神との平和をもたらし、信じる者に聖霊を与えることで、私たちを人々の間で平和を造る者とされた。