ゴスペルライブのご案内 |
出演: サルーキ=(ボーカル:千代延大介 ギター:森モーリー剛)
日時:2018年7月1日(日) 13:30開場 14:00開演
会場:山形第一聖書バプテスト教会(東原教会)
入場料:無料
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山形第一聖書バプテスト教会
主任牧師:紺野真和
牧師:鳥居完次 津嶋理道 住所: 〒990-0034 山形県山形市東原町2-3-26 TEL&FAX: 023-634-8853 E-Mail: ybible63@hyper.ocn.ne.jp 礼拝: (日)午前 7:00- 8:00 (日)午前10:30-12:00 教会学校: (日)午前 9:00-10:00 本サイトの文章・写真・画像は作成者に著作権があります。ご利用希望の方は上記メールアドレスにてご相談ください。 以前の記事
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2018年 06月 06日
ゴスペルライブを開催します。
出演: サルーキ=(ボーカル:千代延大介 ギター:森モーリー剛) 日時:2018年7月1日(日) 13:30開場 14:00開演 会場:山形第一聖書バプテスト教会(東原教会) 入場料:無料 ▲
by ybible63
| 2018-06-06 10:04
| ★イベント
2018年 06月 06日
主の愛は喜びをもたらす<ゼパニヤ書3:1~17> 牧師 鳥居 完次 ゼパニヤ書の視点は、実に根源的な前提から出発している。即ち、神の愛がもたらす「真の喜び」である。これこそ、本来天地創造時「エデン(歓喜)の園」に与えられていた喜びである。しかし、人の罪(神から離れた)によって死が入り「真の喜び」を失ってしまった。 1.神のさばき。人は、罪故に永遠のいのちではなく、永遠のさばき(滅び)を招いた<ヘブル9:27>。しかも、そのとばっちりを全被造物が受けた<ゼパ1:2~3>。それにしても、この「わたし」とは新約に光を当てると、さばき主イエス・キリストである(隠されている)ことがわかる<ヨハネ5:22、27>。故に、<ゼパ3:8>の預言こそ、主イエス・キリストによる「最後のさばき」の宣告である。しかし、同時に本書には、このまことに恐ろしい「最後のさばきの日」がまだ来ないうちに、神の救いの預言が先取りされている<ゼパ2:1~3>。 2.神の救い。ここに、主イエス・キリストの十字架と復活による罪からの救いのみわざが隠されている(ゼパニヤの意味は「神は隠される」)。言い換えると、神の一方的な愛が先行して(前倒しされて)いる、ということである<ヨハネ3:16~17>。それ故に、今や主の愛は、救い主イエス・キリストの十字架と復活のみわざを通して、私たちに真の喜び(平安)をもたらして(取り戻させて)くださった。それこそが、<ゼパ3:17>でゼパニヤが預言していることの成就である。その意味で、いつの日か必ず来る「さばき主イエス・キリスト」の最後のさばきから確実に救い出してくださる「救いの勇士」こそ、「救い主イエス・キリスト」である。この主を心の中に迎え入れることによって、真に主を喜ばせる者となりたい。 ▲
by ybible63
| 2018-06-06 10:02
| ★礼拝説教要約
2018年 06月 06日
「アレオパゴスでの説教」(使徒の働き17章16節~31節) 牧師 紺野 真和 パウロは、アテネではシラスとテモテを待っているだけで、福音を語る予定はなかった。しかし、アテネの町があまりにも偶像に満ちていたために憤りを感じ(16)、何とかして偶像礼拝をしている人々を真の神に立ち返らせたいと思い、福音を語り始めた。パウロがアレオパゴスで異邦人に語ったメッセージはどのようなものであったか。 1、神は創造者。パウロは「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神」(24)、「神は、すべての人に、いのちの息と万物とをお与えになった方」(25)、「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出し」(26)と、神は人間が造り出したものではなく、人間を、世界に満ちているすべてのものをお造りになった創造者なる方であることを語った。 2、神は支配者。パウロは「それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました」と、神は時代をそして人々の住む地域を支配しておられる支配者なる方であることを語った。 3、神は裁き主。パウロは、これまでは偶像礼拝の無知の時代を見過ごしておられたが、今は真の神に立ち返ることを命じておられると語った。そして裁きの日が決められていると続けて語った。裁きがある証拠はイエス・キリストの復活であると語った。 パウロは、ユダヤ人や神を畏れている人には、旧約聖書から預言されている救い主はイエス・キリストであることを語っていたが、旧約聖書を知らない人々に対しては、神はどのようなお方であるのかということから話を始めた。私たちの置かれている日本もアテネと同じような国である。まず神がどのようなお方であるかを語る必要がある。 ▲
by ybible63
| 2018-06-06 10:01
| ★礼拝説教要約
2018年 06月 06日
義人は信仰によって生きる<ハバクク書2:1~4> 牧師 鳥居 完次 ハバククは、エレミヤと同時代の預言者である。が、本書は他の預言書と違う。民の罪のさばきと救いの託宣ではなく、ハバクク自身が神へ投げつけた訴え・叫びのやり取りである。 1.ハバククの訴え・叫びと、その答え。冒頭からハバククの訴え・叫びが炸裂している<1:2~3>。即ち、神はいつまで罪を放置されるつもりなのか、という問いである。答えは、「義人は信仰によって生きる」<2:4>との提示である。これこそ、聖書の中心主張。まさに聖書全体は、「義人は信仰によって生きる」人たちの列伝である。そのまとめが<ヘブル11章>であり、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」<同12:2>がその結論であることがわかる。では「イエスが信仰の完成者」――その意味は? 2.主イエスの訴え・叫びと、その答え。「信仰がためされると忍耐が生じる」<ヤコブ1:3>とあるが、実際のキリストの忍耐はキリストの十字架上の訴え・叫びから類推できる。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」<マタイ27:46>――その意味は、「どうしてわたしをこれほど長く放っておかれるのですか」ととれる。これは、冒頭のハバククの叫び「あなたはいつまで聞いてくださらないのですか」と表面的には同じ。だが、中身はまるで違う。キリストの十字架の叫びは、ハバククで代表される私たち罪人の自分勝手な叫びをすべて受け止めた上での叫びであり、その先に喜びが見えるとでもいえる信仰をもって耐え忍ばれたのである。ここに、本書最後の<3:16~19>を心からの納得をもって共有できる根拠がある。ハバククと共に、主にある救いの喜びを心から賛美していこう。 ▲
by ybible63
| 2018-06-06 09:59
| ★礼拝説教要約
2018年 06月 06日
「遣わされた所で、人々に仕えよう」(マタイ22章34節~40節) 牧師 紺野 真和 律法の専門家が、イエス様を罠にかけるために「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか」と聞いた。するとイエス様は、第一の戒めとして神を愛すること、第二の戒めとして隣人を愛することと語った。第二の戒めを語る時、「第二の戒めも、それ(第一の戒め)と同じようにたいせつです」と語り、「律法と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです」と言われた。すなわち、隣人を愛することは神を愛することと同等に大切な戒めであるという事である。イエス様が言われた隣人を愛せよの愛とは、見返りを求めない一方的な愛である。しかし人間はその愛をアダムとエバが罪を犯して以来失ってしまった。しかしイエス様の十字架と復活によって信じる者に御霊の実が与えられた。御霊の実の第一は、見返りを求めない、一方的な愛である。それでは、隣人を愛するとは具体的にどのようなことか。人々を救うために福音を語るということは大切なことである。しかし今年度目標に掲げているのは、それぞれ遣わされている所で、人々に愛を持って具体的に仕える事である。神様は大宣教命令と文化命令の両方を大切な命令として私たちに与えて下さっている。文化命令とは、神様が創造されたこの世界を、神様の御心にかなった世界に整えさせていただくことである。そのために私たちは様々な所に遣わされている。一つは地域社会である。私たちは町内会に遣わされている。そこで人々に仕えることは大切なことである。また私たちは職場に遣わされている。それぞれ与えられた仕事を通して、人々に仕えることは大切なことである。さらに教会がこの地域に遣わされている。教会を通して、教会が置かれている地域の人々に仕えていくことは大切なことである。今年度、人々に仕えて行こう。 ▲
by ybible63
| 2018-06-06 09:57
| ★礼拝説教要約
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