2009年 05月 07日
全き喜び |
「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです。」
Ⅰヨハネ1章3~4節
3月末、第2回WBC(ワールドベースボールクラッシック)決勝大会において、日本が4年前の第1回目に続いて優勝しました。
優勝決定の韓国戦はまさに手に汗握る戦いで、イチロー選手の劇的なヒットが出た時の興奮、喜びは、それはそれは熱狂的なもので、何度も何度も同じようなニュースが流れていました。
お互い、殆ど知らない者同士が握手したり、肩を叩き合ったりしている不思議な光景がそこにありました。
おもしろいもので、「喜び」とは素晴らしいものをお互いがそこに共有することによって、よりしっかりと確認されるといえます。
しかし、それがこの度のWBC優勝のような本当にすばらしいものであっても、その「喜び」がいつまでも続いていくというものではないのです。
いつまでも続く、決してしぼんでいかない「喜び」なんてあるのでしょうか。
もしあるとすれば、それこそ真の神のうちにある「全き喜び」です。
実は、本来私たちはその「全き喜び」を神と共有できるものとして真の神主によって創造されましたが、その「全き喜び」の源である神から離れてしまい、その「全き喜び」を失ってしまったのです。
しかし、神はその「全き喜び」を御子イエス・キリストのうちに託して、私たちの元に届けてくださったのです。それ故に、確かに私たちは主イエス・キリストとの交わりを通して、その「全き喜び」を何よりも主イエス・キリストと、そして主にある友と共有する素晴らしい特権に与ることができるのです。
牧師 鳥居 完次
by ybible63
| 2009-05-07 16:42
| ★読み物