2007年 05月 29日
第36章 |
*文章中に登場するすべての事例は、個人情報保護の関係で実在の人物そのものではありませんが、著者が取材した多くの人々からヒントを得て新たに創作したものです。
父親の役割
いわゆる名門高校から大学に入ってきた学生の中に、「大学に入学したら科目数が多すぎて、試験のやり方もいろいろで、いつも上位にいられる自信をなくしました。
これまでの私の生きがいは試験の成績で他人に勝つことだったから、もう生きがいがなくなってしまいました。
先生、私はこれから何を生きがいにして生きていったらいいのでしょうか」と相談に来る人が毎年数名おります。
「生きがいを教えて」と言われても、私も途方に暮れてしまうことが多いのです。
生きがいを見つけられないというのは、まわりに楽しいことがたくさん散らばっているのに、それらに気づいて拾い上げ、それを喜ぶ習慣を持ち合わせていないということなのかもしれません。
ところで、日常生活の中で、小さな子どもに両親がどのように関わっているかを調べた研究があります。
それによると、お母さんはしつけるために子どもと関わり、お父さんは遊んであげるために子どもと関わるという特徴がはっきりと表れました(文献)。
「あなたは子どもと遊んでばっかりだから、楽でいいわよね。
私なんかしつけたり叱ったりしなくちゃいけないから、大変よ」と妻から言われることもあります。
もちろん、しつけも社会生活に適応できる子どもを育てるために大切です。
しかし、子どもはしつけよりも、楽しく遊んでもらった体験によって人生の楽しさを実感します。子どもと同じ目線でとことん遊んであげると、子どもは興奮して、「キャーキャー」と歓声を上げて喜びます。
この声こそが、「わたしは生まれてきてよかった」「ぼくは生きていてよかった」と心から感じていることの表現であると、私は思うのです。
こういう楽しさの記憶を子どもの心の中にたくさん貯金しておいてあげたいと思います。
この貯金は、生きがいを見つけ、人生を喜んで意欲的に生きていくための資金になると思うのです。
聖書では目に見えない貯金をことさら尊びます。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)
ところで、楽しさの記憶を貯金してあげることと同じくらい、父親が社会の中で真剣に大人の戦いをしている姿を子どもに見せることも重要です。
私の職場には休日でも働いている人がおりますので、たまの休日に子どもを職場に連れていくと、同僚とあいさつしたり仕事上の打ち合わせをしたりする私の姿が子どもの目に留まることがあります。そうすると子どもが言います。
「お父さん、本当の先生みたい」と。
「じゃあ、家にいるお父さんは?」と聞くと、「パンダかアザラシだね」と言われてしまいます。
父親は外で働いている自分の姿を知っていますから、きっと子どももわかってくれているだろうと誤解しやすいようです。
しかし、やはり見てみなければわかりません。
父親が働いている姿を見ると、その真剣さ、忍耐、かっこよさなどを感じ取り、父親を見直す可能性も出てきます。
父親が敢えて社会の厳しさをことばで説かなくても、子どもは「お父さんは他人に甘えないで立派に生きているな」と感じてくれるかもしれません。
私の父は食料品を自動車に積んで山間部の集落に売り歩く商売を昭和61年(1986年)までしておりました。
昭和40、50年台にはけっこう需要がありました。
しかし、昭和60年頃には、自家用車の普及と大型小売店の進出によって衰退していきました。午前中、市場から仕入れてきた品々を家でパック詰めする仕事などを、学校が休みの期間中は私もよく手伝っていました。
冬休みに1週間ほど父について行ったことがありました。
午後から売りに出て、帰宅は夜の9時になります。
決して楽な仕事ではありませんでした。
しかし、喜びもありました。
夜遅く雪が降る中をお客さんが来てくださいます。
「子どもたちの弁当のおかずなんだけど」とお客さんが言うと、父は「いいブリをとっておいたよ」と言います。
お客さんは嬉しそうにそれを買って行かれます。
そのあと、父も私もとてもお腹が空いてしまい、売れ残った冷たいコロッケを1個ずつ「うまいなあ」と言いながら食べました。
そのとき感じたささやかな幸福が、このようにして文章に書いてしまうほどに忘れがたい思い出になるとは思いもしませんでした。
朝早く、私はなぜか市場を見に行ったことがありました。
たくさんの人が集まり、勢いよく競りが行われておりました。
父の姿がなかなか見つかりませんでしたが、とうとう見つけました。
しかし、競りの集団の中ではなく、その周囲をちょこちょこ歩き回っている小さな父の姿でした。私の想像では、父の商売の規模が小さいので、すでに競り落とされた品々を分け売りしてもらっているようなのでした。
そのように父の仕事は地味で小さな商売でしたが、「つらくてもきつくても、仕事というものはとにかく理屈抜きでやるものだ。
やっているうちに、涙が出るほど嬉しいことがたまに見つかるときがある」ということを、私に無言で教えてくれたような気がしました。
たいていの研究者は大きく目立つ研究をしたがるものです。
しかし、たとえ目立たない小さな研究でも、私は楽しくこつこつと進めることにしています。
少数でも、喜んでくれる人がいれば私は嬉しいのです。いつのまにか、父の姿と重なっている感じがします。
自分の働いている姿を子どもに直接見せることができなくても、父親が仕事のことを目に浮かぶように具体的に話して聞かせるだけでも意味があります。
ただし、仕事のつらさや苦しみだけを語ってはいけません。仕事をすることや大人になることに対して子どもが恐怖感をもつようになるからです。
つらさや苦しみを1割語ったとすると、喜びや楽しさを9割語っていただきたいと思います。
そうすれば、自分が将来大人になって仕事に就くことに対して期待感をもつことができるようになります。
当たり前のことですが、子どもの将来の職業選択は自由にさせた方がよいと思います。
職種や社会的地位よりも、興味・関心のある仕事を理屈抜きで楽しくやることの方が重要だからです。
聖書でも手本の大切さをパウロが語っています。
「兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」(ピリピ3:17)
文献
川端啓之ほか(1995):ライフサイクルからみた発達臨床心理学.ナカニシヤ出
版
父親の役割
いわゆる名門高校から大学に入ってきた学生の中に、「大学に入学したら科目数が多すぎて、試験のやり方もいろいろで、いつも上位にいられる自信をなくしました。
これまでの私の生きがいは試験の成績で他人に勝つことだったから、もう生きがいがなくなってしまいました。
先生、私はこれから何を生きがいにして生きていったらいいのでしょうか」と相談に来る人が毎年数名おります。
「生きがいを教えて」と言われても、私も途方に暮れてしまうことが多いのです。
生きがいを見つけられないというのは、まわりに楽しいことがたくさん散らばっているのに、それらに気づいて拾い上げ、それを喜ぶ習慣を持ち合わせていないということなのかもしれません。
ところで、日常生活の中で、小さな子どもに両親がどのように関わっているかを調べた研究があります。
それによると、お母さんはしつけるために子どもと関わり、お父さんは遊んであげるために子どもと関わるという特徴がはっきりと表れました(文献)。
「あなたは子どもと遊んでばっかりだから、楽でいいわよね。
私なんかしつけたり叱ったりしなくちゃいけないから、大変よ」と妻から言われることもあります。
もちろん、しつけも社会生活に適応できる子どもを育てるために大切です。
しかし、子どもはしつけよりも、楽しく遊んでもらった体験によって人生の楽しさを実感します。子どもと同じ目線でとことん遊んであげると、子どもは興奮して、「キャーキャー」と歓声を上げて喜びます。
この声こそが、「わたしは生まれてきてよかった」「ぼくは生きていてよかった」と心から感じていることの表現であると、私は思うのです。
こういう楽しさの記憶を子どもの心の中にたくさん貯金しておいてあげたいと思います。
この貯金は、生きがいを見つけ、人生を喜んで意欲的に生きていくための資金になると思うのです。
聖書では目に見えない貯金をことさら尊びます。
「私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。」(Ⅱコリント4:18)
ところで、楽しさの記憶を貯金してあげることと同じくらい、父親が社会の中で真剣に大人の戦いをしている姿を子どもに見せることも重要です。
私の職場には休日でも働いている人がおりますので、たまの休日に子どもを職場に連れていくと、同僚とあいさつしたり仕事上の打ち合わせをしたりする私の姿が子どもの目に留まることがあります。そうすると子どもが言います。
「お父さん、本当の先生みたい」と。
「じゃあ、家にいるお父さんは?」と聞くと、「パンダかアザラシだね」と言われてしまいます。
父親は外で働いている自分の姿を知っていますから、きっと子どももわかってくれているだろうと誤解しやすいようです。
しかし、やはり見てみなければわかりません。
父親が働いている姿を見ると、その真剣さ、忍耐、かっこよさなどを感じ取り、父親を見直す可能性も出てきます。
父親が敢えて社会の厳しさをことばで説かなくても、子どもは「お父さんは他人に甘えないで立派に生きているな」と感じてくれるかもしれません。
私の父は食料品を自動車に積んで山間部の集落に売り歩く商売を昭和61年(1986年)までしておりました。
昭和40、50年台にはけっこう需要がありました。
しかし、昭和60年頃には、自家用車の普及と大型小売店の進出によって衰退していきました。午前中、市場から仕入れてきた品々を家でパック詰めする仕事などを、学校が休みの期間中は私もよく手伝っていました。
冬休みに1週間ほど父について行ったことがありました。
午後から売りに出て、帰宅は夜の9時になります。
決して楽な仕事ではありませんでした。
しかし、喜びもありました。
夜遅く雪が降る中をお客さんが来てくださいます。
「子どもたちの弁当のおかずなんだけど」とお客さんが言うと、父は「いいブリをとっておいたよ」と言います。
お客さんは嬉しそうにそれを買って行かれます。
そのあと、父も私もとてもお腹が空いてしまい、売れ残った冷たいコロッケを1個ずつ「うまいなあ」と言いながら食べました。
そのとき感じたささやかな幸福が、このようにして文章に書いてしまうほどに忘れがたい思い出になるとは思いもしませんでした。
朝早く、私はなぜか市場を見に行ったことがありました。
たくさんの人が集まり、勢いよく競りが行われておりました。
父の姿がなかなか見つかりませんでしたが、とうとう見つけました。
しかし、競りの集団の中ではなく、その周囲をちょこちょこ歩き回っている小さな父の姿でした。私の想像では、父の商売の規模が小さいので、すでに競り落とされた品々を分け売りしてもらっているようなのでした。
そのように父の仕事は地味で小さな商売でしたが、「つらくてもきつくても、仕事というものはとにかく理屈抜きでやるものだ。
やっているうちに、涙が出るほど嬉しいことがたまに見つかるときがある」ということを、私に無言で教えてくれたような気がしました。
たいていの研究者は大きく目立つ研究をしたがるものです。
しかし、たとえ目立たない小さな研究でも、私は楽しくこつこつと進めることにしています。
少数でも、喜んでくれる人がいれば私は嬉しいのです。いつのまにか、父の姿と重なっている感じがします。
自分の働いている姿を子どもに直接見せることができなくても、父親が仕事のことを目に浮かぶように具体的に話して聞かせるだけでも意味があります。
ただし、仕事のつらさや苦しみだけを語ってはいけません。仕事をすることや大人になることに対して子どもが恐怖感をもつようになるからです。
つらさや苦しみを1割語ったとすると、喜びや楽しさを9割語っていただきたいと思います。
そうすれば、自分が将来大人になって仕事に就くことに対して期待感をもつことができるようになります。
当たり前のことですが、子どもの将来の職業選択は自由にさせた方がよいと思います。
職種や社会的地位よりも、興味・関心のある仕事を理屈抜きで楽しくやることの方が重要だからです。
聖書でも手本の大切さをパウロが語っています。
「兄弟たち。私を見ならう者になってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。」(ピリピ3:17)
文献
川端啓之ほか(1995):ライフサイクルからみた発達臨床心理学.ナカニシヤ出
版
by ybible63
| 2007-05-29 08:58
| ★教育シリーズ(子育て)