2007年 01月 08日
教育シリーズ 第41回 |
*文章中に登場するすべての事例は、個人情報保護の関係で実在の人物そのものではありませんが、著者が取材した多くの人々からヒントを得て新たに創作したものです。
悲しむ者は幸い?
佐竹 真次
「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)と聖書には書かれています。
聖書には不思議なことばがたくさん書かれていますが、このことばも私にとっては非常に不思議なことばでした。
「第一、悲しむ者が幸いであるわけがないじゃないか。幸いな人は笑っているはずだ。このことばは痩せ我慢か合理化だろう。」と私は単純に思っていました。
ところで、最近、いじめられていることを苦にして自分の命を絶ってしまう思春期の子どもたちが次々と出てきました。
マスコミの報道に触発され連鎖反応的に増え広がっています。
同級生や、ときには教師から無視されたり中傷されたり陰口を言われたり暴力を受けたりして、死ぬほどつらい思いで苦しんでいた子どもの中には、報道を見て「こういう解決法もあったんだ」と気づき、だれにも相談しないまま、遺書を残して、あるいはそれも残さずに取り返しのつかない行動に出てしまった人もいるようです。
同じような状況ではあったけれど、一線を越えなかった人々の回顧録を読むと、「親に心配をかけたくなかった。
自分がいじめられるような子どもだと思われたくなかった」と書いてあることがほとんどです。
そして何の悩みもないかのように明るく振舞っていたと言います。
しかし、あるときに意を決して親に泣き泣き相談したら、親が気持ちを受け止めて保護してくれた、あるいは、先生に相談したら意外にもよく対応して解決に導いてくれた、とも言います。
グールディングという人は、幼少期から養育者によって言われ続けた「禁止令」によって、人は成長してからも縛られ続けると言い、12個の禁止令を紹介しています。
その中に、「自然な感情を感じてはいけない」というものがあります。
嬉しいときや楽しいときに喜び、悔しいときに怒り、悲しいときに泣くということを禁じる親がいるというのです。
確かに、喜んでいると「のぼせ上がるな」と言われたり、怒っているとかえって威嚇されたり、泣いていると「泣かずに我慢しろ」と言われたりすることは普通にあることです。かし、「禁止令」はそれが例外なく、継続的に、しかも強く命じられる命令であるというものです。親の都合によってなされる命令です。
禁止令に縛られ、のびのびと生きられず、機能不全や適応障害を起こしている子どもたちや青少年に出会うたびに、人間が自然な感情を感じたり表現したりすることがどれほど大切なことであるのかを、私は痛感するようになりました。
どんなに強がっている人でも、ときには慰めや支援や保護を必要とします。
しかし、悲しむことを学習しなかった人は、他者からの慰めを得ることができません。
かえって他者からの慰めや支援や保護を拒んでしまうでしょう。そして土壺にはまってしまうのです。
わが子を長生きさせたいのであれば、悲しいときには「悲しい」と、辛いときには「辛い」と言えるように育てなければならないと思います。
そのためには、子どもの悲しみや辛さを日ごろから聞いてあげることが必要です。
もちろん、いつもくよくよしている子どもではいけませんから、子どもの喜びを一緒に喜び、子どもの怒りをうまく発散させることも忘れてはいけません。
「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)ということばは世知辛い現代にはとくに重要です。
注 「自然な感情を感じてはいけない」という禁止令や「感情を表に現してはいけない」という命令が強く働くと、事実を詳細に語ることはできるが、想像力が貧困で、精神的な葛藤を言語化することが困難な「失感情症」や、心理社会的ストレスが関与する身体疾患である「心身症」になる危険があるといわれます。
悲しむ者は幸い?
佐竹 真次
「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)と聖書には書かれています。
聖書には不思議なことばがたくさん書かれていますが、このことばも私にとっては非常に不思議なことばでした。
「第一、悲しむ者が幸いであるわけがないじゃないか。幸いな人は笑っているはずだ。このことばは痩せ我慢か合理化だろう。」と私は単純に思っていました。
ところで、最近、いじめられていることを苦にして自分の命を絶ってしまう思春期の子どもたちが次々と出てきました。
マスコミの報道に触発され連鎖反応的に増え広がっています。
同級生や、ときには教師から無視されたり中傷されたり陰口を言われたり暴力を受けたりして、死ぬほどつらい思いで苦しんでいた子どもの中には、報道を見て「こういう解決法もあったんだ」と気づき、だれにも相談しないまま、遺書を残して、あるいはそれも残さずに取り返しのつかない行動に出てしまった人もいるようです。
同じような状況ではあったけれど、一線を越えなかった人々の回顧録を読むと、「親に心配をかけたくなかった。
自分がいじめられるような子どもだと思われたくなかった」と書いてあることがほとんどです。
そして何の悩みもないかのように明るく振舞っていたと言います。
しかし、あるときに意を決して親に泣き泣き相談したら、親が気持ちを受け止めて保護してくれた、あるいは、先生に相談したら意外にもよく対応して解決に導いてくれた、とも言います。
グールディングという人は、幼少期から養育者によって言われ続けた「禁止令」によって、人は成長してからも縛られ続けると言い、12個の禁止令を紹介しています。
その中に、「自然な感情を感じてはいけない」というものがあります。
嬉しいときや楽しいときに喜び、悔しいときに怒り、悲しいときに泣くということを禁じる親がいるというのです。
確かに、喜んでいると「のぼせ上がるな」と言われたり、怒っているとかえって威嚇されたり、泣いていると「泣かずに我慢しろ」と言われたりすることは普通にあることです。かし、「禁止令」はそれが例外なく、継続的に、しかも強く命じられる命令であるというものです。親の都合によってなされる命令です。
禁止令に縛られ、のびのびと生きられず、機能不全や適応障害を起こしている子どもたちや青少年に出会うたびに、人間が自然な感情を感じたり表現したりすることがどれほど大切なことであるのかを、私は痛感するようになりました。
どんなに強がっている人でも、ときには慰めや支援や保護を必要とします。
しかし、悲しむことを学習しなかった人は、他者からの慰めを得ることができません。
かえって他者からの慰めや支援や保護を拒んでしまうでしょう。そして土壺にはまってしまうのです。
わが子を長生きさせたいのであれば、悲しいときには「悲しい」と、辛いときには「辛い」と言えるように育てなければならないと思います。
そのためには、子どもの悲しみや辛さを日ごろから聞いてあげることが必要です。
もちろん、いつもくよくよしている子どもではいけませんから、子どもの喜びを一緒に喜び、子どもの怒りをうまく発散させることも忘れてはいけません。
「悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。」(マタイ5:4)ということばは世知辛い現代にはとくに重要です。
注 「自然な感情を感じてはいけない」という禁止令や「感情を表に現してはいけない」という命令が強く働くと、事実を詳細に語ることはできるが、想像力が貧困で、精神的な葛藤を言語化することが困難な「失感情症」や、心理社会的ストレスが関与する身体疾患である「心身症」になる危険があるといわれます。
by ybible63
| 2007-01-08 07:33
| ★教育シリーズ(子育て)