2006年 07月 11日
人にとって幸いなこと |

「受けるよりも与えるほうが幸いである」
(使徒20章35節)
ある本に聖書のユーモアが紹介されていました。
「一人の男が夢を見る。彼は死んで遠いt遠い所にいる。
そこで、とても快適な感じがしている。ちょっと休息してから彼は呼びかける。
「ここに誰かいますか」ー
すぐに白い衣をつけた人が出てきて尋ねる。「何をご希望ですか」
「何かもらうことができますか」
「何でもあなたのご希望のものを差し上げられます。」
「では何か食べる物を持って来て下さい。」
彼は欲しかったものをきちんお運んでもらい、それを食べて眠り、すばらしい時間を過ごした。それから演劇を見たいと所望すると、それも見せてもらえた。
彼は望むものを全てかなえられた。
しかし、遂に彼は、それにあきあきして、それから白衣の人を呼び寄せて言う。
「私は何かしてみたいのですが」
「申し訳ありませんが、それこそ、ここであなたに差し上げられない唯一の事柄なのです。」
そこで男は言う。「私は吐き気を覚える。私はあきあきした。それなら、むしろ、私は地獄にいる方がましだ。」
すると白衣の人は叫び声を上げて言う「一体、あなたは、どこにいるとお考えだったのですか」。(『にんまり笑う信仰問答書ー愉快な神学』)
この話を読んだ時、思わず噴き出して笑いました。
ところで、私はこの話しの中にある、「何かをしてみたい」という箇所を、隣人のために何かをするというように読みました。
このように読むと隣人に与えることができない事は、人にとって苦しみという事になります。
本当にそうだなと思います。
私はダウンした時、他の人のために何もできませんでした。
そのことは私にとってつらいことでした。
何もできなくなって、初めて何かしら他の人のお役に立てる事は喜びなんだと気づきました。
失って初めて気づくのですから鈍い人間だなと思いますが。
隣人の為に祈れる、言葉を掛けられる、賜物を用いさせていただける。
このような事をできることは私たちにとって喜びです。
私達はそのように造られています。
イエス様は「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われました。
(牧師 紺野真和)
by ybible63
| 2006-07-11 11:23
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