2006年 04月 13日
教育シリーズ 第30回 |
*文章中に登場するすべての事例は、個人情報保護の関係で実在の人物そのものではありませんが、著者が取材した多くの人々からヒントを得て新たに創作したものです。
3つの感謝
佐竹 真次
「感謝」はだれもが経験し、だれもが大切だと信じているわりには、それを真面目に研究している人はほとんどおりません。
しかし、私がクリスチャンになってからずっと、私の心の中には「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:16-18)という聖書のことばが迫り続けていました。
「感謝」とは一般的に考えられているよりも、はるかに大きな役割をもっている行為なのではないか、と私は考えさせられています。
「感謝」のことばのひとつである「ありがとう」ということばを人が言い始めるのは2歳1ヵ月頃であるとされます。
そのように人生の早い時期から表現される「感謝」は、適切な社会的行動を行った人を強化し、喜ばせる役割をもつといわれます。
しかし、適切な社会的行動を行っても「感謝」してもらえない状況が続くと、その人は無力感に陥ります。
そして、そのような状況を極端に長く経験している人たちにおいては、その自殺率が、他と比べても高くなることが明らかとなっています。
たとえば、アメリカの医師の専門科別自殺率統計に関する研究では、自殺率が高いものは精神科医、麻酔科医などとなっています。
精神科医は、精神症状、神経症症状をもった患者にもっぱら接しています。
麻酔科医は、緊張の続く手術時に加え、終末期にあり苦痛の激しい患者など困難なケースの苦痛のコントロールを任されています。
こうした患者は完全治療には至らないことも多いため、関わりの中で患者から「感謝」される機会が少なく、医師としては消耗しやすいと考察されています。
これらに対して、産婦人科医などは、出産というめでたい場面に遭遇し、患者からは「感謝」されることが多いので、比較的心身の健康状態は良好でいられるのであろう、と考察されています(文献)。
お姑さんの介護を長く続け、疲労の出ているお嫁さんが言いました。「夫のきょうだいや親戚には何も求めようとは思いませんが、せめて『ありがとう』の一言さえもあれば癒されるだろうなあ、と思うのです」と。
ところで、妻との関係に疲れ果ててしまい離婚も考えているという夫たちに、私はこれまで何例か出合ってきました。
彼らは決して不倫などの不真面目な行為をしているのではなく、きわめて真面目な職業生活と社会生活を営んでいる人たちでした。
しかし、妻との会話はいつも怒りとののしり合いで終わり、子どもは妻に付き、自分は孤立してしまっているというのでした。
彼らはきまって「妻は神経質だ」と言います。
以下はそのような男性と私との間でよく交わされる会話の例です。
私 「奥さんを愛していますか?」
男性「昔は愛していると思っていました。でも、今はわかりません。」
私 「奥さんにどうなってほしいのですか?」
男性「私の言うことに従ってほしいのです。」
私 「奥さんにそうなってもらうためには、どうしたらよいと思いますか?」
男性「それを先生に教えてもらいたいのです。これまで一生懸命に説得してき
ましたが、どんどん意地っ張りになるだけで…。」
私 「奥さんに感謝できる部分はありますか?」
男性「感謝してもらいたいのは、こっちの方です。」
私 「奥さんはあなたに感謝してくれますか?」
男性「してくれません。」
私 「もう一度お聞きします。奥さんに感謝できる部分はありますか?」
男性「ありません。でも妻は『認めてほしい』とはよく言います。」
私 「奥さんを認めてあげましょうか?」
男性「それは私が一番不得意なことなんです。」
私 「このままでは何も変わりそうにありませんね。」
男性「・・・。」(ため息をつきながらうなずく。)
私 「1日に3つだけ、奥さんがしてくれた良いことを挙げて、奥さんに『あ
りがとう』と言ってみてください。」
男性「妻に感謝できる部分がないんです。」
私 「要求水準を徹底的に下げましょう。料理を作ってくれたことも洗濯して
くれたことも感謝する対象になります。」
男性「それは当たり前のことでしょう。」
私 「当たり前のことでいいんです。」(本音では「あなたこそ、当たり前のこ
とができていないから、今がおかしくなっているのでしょう」と言いた
いのですが、それは胸にとどめます。)
「続けないと効果が現れません。半年は続けてください。また、ノートに
日付と3つの感謝を簡潔に毎日記録してください。」
提案するのはたったこれだけのプログラムですが、実行する夫は多くはありません。
妻に対して謙遜になれないのです。上がりきった要求水準を下げることができないのです。
中には、妻に先立たれて初めてそのありがたさがわかった、と後悔している夫もいます。
しかし、実行してくれたある夫が報告してくれました。
「初めは妻から怪しまれましたが、耐えながら続けました。3ヵ月ぐらいたったある日、私が手伝ったことに対して、妻も『ありがとう』と言ってくれました。お義理かもしれませんが、少しずつ確率が上がってきています。これだけでも以前よりかなりましです。」
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ7:12)と聖書は言います。自分にしてもらいたいことの多くは小さなことです。
小さなことなのですから、ほかの人に対してもそれをすることを続け、習慣にまですることができたらいいな、と私は思うのです。
文献
宗像恒次ほか(1988):燃えつき症候群-医師・看護婦・教師のメンタル・ヘル
ス.金剛出版.

3つの感謝
佐竹 真次
「感謝」はだれもが経験し、だれもが大切だと信じているわりには、それを真面目に研究している人はほとんどおりません。
しかし、私がクリスチャンになってからずっと、私の心の中には「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(Ⅰテサロニケ5:16-18)という聖書のことばが迫り続けていました。
「感謝」とは一般的に考えられているよりも、はるかに大きな役割をもっている行為なのではないか、と私は考えさせられています。
「感謝」のことばのひとつである「ありがとう」ということばを人が言い始めるのは2歳1ヵ月頃であるとされます。
そのように人生の早い時期から表現される「感謝」は、適切な社会的行動を行った人を強化し、喜ばせる役割をもつといわれます。
しかし、適切な社会的行動を行っても「感謝」してもらえない状況が続くと、その人は無力感に陥ります。
そして、そのような状況を極端に長く経験している人たちにおいては、その自殺率が、他と比べても高くなることが明らかとなっています。
たとえば、アメリカの医師の専門科別自殺率統計に関する研究では、自殺率が高いものは精神科医、麻酔科医などとなっています。
精神科医は、精神症状、神経症症状をもった患者にもっぱら接しています。
麻酔科医は、緊張の続く手術時に加え、終末期にあり苦痛の激しい患者など困難なケースの苦痛のコントロールを任されています。
こうした患者は完全治療には至らないことも多いため、関わりの中で患者から「感謝」される機会が少なく、医師としては消耗しやすいと考察されています。
これらに対して、産婦人科医などは、出産というめでたい場面に遭遇し、患者からは「感謝」されることが多いので、比較的心身の健康状態は良好でいられるのであろう、と考察されています(文献)。
お姑さんの介護を長く続け、疲労の出ているお嫁さんが言いました。「夫のきょうだいや親戚には何も求めようとは思いませんが、せめて『ありがとう』の一言さえもあれば癒されるだろうなあ、と思うのです」と。
ところで、妻との関係に疲れ果ててしまい離婚も考えているという夫たちに、私はこれまで何例か出合ってきました。
彼らは決して不倫などの不真面目な行為をしているのではなく、きわめて真面目な職業生活と社会生活を営んでいる人たちでした。
しかし、妻との会話はいつも怒りとののしり合いで終わり、子どもは妻に付き、自分は孤立してしまっているというのでした。
彼らはきまって「妻は神経質だ」と言います。
以下はそのような男性と私との間でよく交わされる会話の例です。
私 「奥さんを愛していますか?」
男性「昔は愛していると思っていました。でも、今はわかりません。」
私 「奥さんにどうなってほしいのですか?」
男性「私の言うことに従ってほしいのです。」
私 「奥さんにそうなってもらうためには、どうしたらよいと思いますか?」
男性「それを先生に教えてもらいたいのです。これまで一生懸命に説得してき
ましたが、どんどん意地っ張りになるだけで…。」
私 「奥さんに感謝できる部分はありますか?」
男性「感謝してもらいたいのは、こっちの方です。」
私 「奥さんはあなたに感謝してくれますか?」
男性「してくれません。」
私 「もう一度お聞きします。奥さんに感謝できる部分はありますか?」
男性「ありません。でも妻は『認めてほしい』とはよく言います。」
私 「奥さんを認めてあげましょうか?」
男性「それは私が一番不得意なことなんです。」
私 「このままでは何も変わりそうにありませんね。」
男性「・・・。」(ため息をつきながらうなずく。)
私 「1日に3つだけ、奥さんがしてくれた良いことを挙げて、奥さんに『あ
りがとう』と言ってみてください。」
男性「妻に感謝できる部分がないんです。」
私 「要求水準を徹底的に下げましょう。料理を作ってくれたことも洗濯して
くれたことも感謝する対象になります。」
男性「それは当たり前のことでしょう。」
私 「当たり前のことでいいんです。」(本音では「あなたこそ、当たり前のこ
とができていないから、今がおかしくなっているのでしょう」と言いた
いのですが、それは胸にとどめます。)
「続けないと効果が現れません。半年は続けてください。また、ノートに
日付と3つの感謝を簡潔に毎日記録してください。」
提案するのはたったこれだけのプログラムですが、実行する夫は多くはありません。
妻に対して謙遜になれないのです。上がりきった要求水準を下げることができないのです。
中には、妻に先立たれて初めてそのありがたさがわかった、と後悔している夫もいます。
しかし、実行してくれたある夫が報告してくれました。
「初めは妻から怪しまれましたが、耐えながら続けました。3ヵ月ぐらいたったある日、私が手伝ったことに対して、妻も『ありがとう』と言ってくれました。お義理かもしれませんが、少しずつ確率が上がってきています。これだけでも以前よりかなりましです。」
「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ7:12)と聖書は言います。自分にしてもらいたいことの多くは小さなことです。
小さなことなのですから、ほかの人に対してもそれをすることを続け、習慣にまですることができたらいいな、と私は思うのです。
文献
宗像恒次ほか(1988):燃えつき症候群-医師・看護婦・教師のメンタル・ヘル
ス.金剛出版.

by ybible63
| 2006-04-13 10:01
| ★教育シリーズ(子育て)