2006年 04月 13日
教育シリーズ 第22回 |
*文章中に登場するすべての事例は、個人情報保護の関係で実在の人物そのものではありませんが、著者が取材した多くの人々からヒントを得て新たに創作したものです。
野菜しか食べなくても 佐竹 真次
以前「不安は平安にいたる道しるべ」と書かせていただいたことがありました。
その趣旨は、不安を感じることができるからこそ平安も感じることができる。
また、不安の感じ方には個人差がある、ということでした。
たくさんの子どもたちと出会ってみると、なかには不安や緊張感を誘発する場面に対して過敏であると思われる子どもたちも必ずみられます。
それは生まれつきのこともあれば習得性のこともあると思われます。
しかし、その判別はなかなかむずかしいものです。
ある小学校1年生の子どもがいました。
しかし、入学当初から一人では教室に入ることができませんでした。
お母さんによれば、幼稚園のときの無理な母子分離が影響していたのではないかといいます。彼の過敏生に気づいていたお母さんは、彼が年少クラスに入園して数ヶ月間付き添っていたのですが、先生の強い勧めで離れることにしました。
お母さんが離れたとたん彼は恐怖感に襲われたように大声で泣き出し、先生に抱え込まれたそうです。
そのような中で先生の促しに従って、お母さんは幼稚園を去って行きました。
このようなことを数週間続けましたが、彼は登園することを極度に恐れるようになり、お母さんもいたたまれない気持ちになって幼稚園をやめました。
その後、彼はお母さんと一緒に家庭で過ごしましたが、いよいよ小学校入学を迎えたのです。お母さんが彼と一緒に教室に入ると、担任の先生はお母さんに出て行ってくださいと言います。
お母さんが出てしまえば、もちろん彼も出てきてしまいます。
そこでお母さんは身動きがとれなくなり、カウンセラーのもとに相談に来たのです。
彼は過敏で不安定で、他者との間に基本的信頼感を確立するのに時間のかかるタイプの子どもです。
しかし、一度それを確立できると繊細で鋭敏な個性を発揮し、とても独創的な成果を上げたりするのです。
彼のようなケースでは、私は「継次近接法」(文献)という方法を用います。
まず、養護教諭に協力してもらえないかどうかをお母さんに確かめてもらいました。
担任は硬派でも、他の先生はそうではないこともあるのです。
幸い養護教諭は協力を約束してくれました。
はじめは彼とお母さんが保健室に行き、養護教諭と5分間の雑談をしただけで一緒に帰宅します。
ばかばかしいことのようですが、学校の中に平安でいられる最低限の場所と時間を確保することが大切なのです。
それを1週間続けて平安が維持されたらそれをお互いに喜び合います。
そして次の週から10分間保健室で雑談をして帰宅します。
それを1週間続けて平安が維持されるかどうかをみます。
十分に平安でなく、不安が感じられたらその段階に留まって10分間登校を続けます。
そのように1週につき5分間ずつ時間を延長できるかどうかを慎重に検討しながら段階を進めました。
保健室で1時間程度遊べるようになったころ、教頭先生や家庭科の先生も、工作や手芸などをしながら相手をしてくれるようになりました。
在校時間は徐々に伸び、12月には給食の時間だけ学級に入ることができるようになりました。とりあえずそれだけでも十分な成果であると、私は考えていました。
しばらく静観していたら、新年度の5月にお母さんからハガキが来ました。
「2年生から毎日学級に元気に参加しています」との嬉しい報告でした。
別の小学校に同じように過敏な5年生の女の子がいました。
小学校1年生の4月に数名の同学年の女子から仲間外れにされたり悪口を言われたりしました。
とくに身体的に攻撃されたわけではありませんでしたが、初めて体験した言い知れぬ孤立感が強烈過ぎたようなのです。
クラスの子どもたち全体に対する不信感と彼らの視線に対する恐怖感から、第4学年が終わるまでほとんど登校できないままにきてしまいました。
しかし、お母さんは心配にとうとう耐えきれず、相談に来られました。
彼女の場合も「継次近接法」が役立つと思われました。
幸い、新担任と養護教諭が前向きな方々で、すぐに連携を組むことができました。
長年登校していなかった小学校に、放課後の静かな時間を見計らって彼女とお母さんが行き、1階の保健室のベランダの窓を触ってから帰宅することを1週間続けました。
何不自由なく生活している人から見れば「あほらしい」と思われるかもしれませんが、子どもの心理臨床というのは、このようなあほらしく見えることから始まることも多いのです。
放課後に来て帰ることができるとわかったので、今度は日中にテラスから保健室に入り、養護教諭の先生や都合をつけた担任の先生と5分間雑談することを、1学期間の課題にしました。同級生たちがプールで水泳の授業を受けているときなどは、姿を見られないように遠回りして保健室に来ました。
本人なりにいろいろ工夫をしながら、1学期間の5分間登校に成功しました。
2学期は10分間登校に挑戦することを、私は提案しました。
本人とお母さんと先生たちが話し合い、10分間登校をやってみる決心がつきました。
これもうまくいき、毎学期5分間ずつ伸ばしていくことにしました。
3学期は15分間になり、6年生の1学期は20分間、2学期は25分間になりました。
私はそこでハタと考えました。
25分間保健室登校できてもまもなく卒業。
大きな中学校に入学したらこんな取り組みの効果は消し飛んでしまうのではないか、と。
現実的には、中学校になっても小学校の延長で、保健室登校か個別学習室登校を継続していくことが妥当と思われました。
そのようなとき、ご両親と担任が学区にとらわれない特認校の制度があることに気づきました。最寄りの特認中学校は山村の中にありました。
1学年が7~8人の家族的な中学校です。
校長先生が生徒たちと一緒にキノコ採りをしてくれます。
運動会は村人総出で行いますので、村民運動会のようです。
彼女はこの中学校を自分の意志で選びました。
ご両親は彼女の送迎のために四駆の乗用車を買いました。
入学して半年後、学校便りに彼女がこう書きました。
「私はこれまで人を信じることができなくて苦しんでいました。でも、今はちがいます。私は人を信じることができるようになったし、人が大好きです。」
彼らは二人とも当初の場面に対しては過敏でした。
しかし、家族や先生たちが彼らの個人差を大切にしながらきちんと支え続けることによって、彼らは少しずつ社会的な場面に慣れていきました。
時間はかかりましたが、このようにして培った力と感じた喜びは、生涯にわたって彼らの人生により大きな強さと希望をもたらしてくれるであろうと、私は思うのです。
聖書には、「何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。」(ローマ14:2-3)と書かれています。神様はとても温かい眼差しで一人ひとりの個人差を受け入れ、大切にしてくださいます。
文献
真仁田昭・原野広太郎・沢崎達夫(編)(1995):学校カウンセリング辞典.
金子書房.
野菜しか食べなくても 佐竹 真次
以前「不安は平安にいたる道しるべ」と書かせていただいたことがありました。
その趣旨は、不安を感じることができるからこそ平安も感じることができる。
また、不安の感じ方には個人差がある、ということでした。
たくさんの子どもたちと出会ってみると、なかには不安や緊張感を誘発する場面に対して過敏であると思われる子どもたちも必ずみられます。
それは生まれつきのこともあれば習得性のこともあると思われます。
しかし、その判別はなかなかむずかしいものです。
ある小学校1年生の子どもがいました。
しかし、入学当初から一人では教室に入ることができませんでした。
お母さんによれば、幼稚園のときの無理な母子分離が影響していたのではないかといいます。彼の過敏生に気づいていたお母さんは、彼が年少クラスに入園して数ヶ月間付き添っていたのですが、先生の強い勧めで離れることにしました。
お母さんが離れたとたん彼は恐怖感に襲われたように大声で泣き出し、先生に抱え込まれたそうです。
そのような中で先生の促しに従って、お母さんは幼稚園を去って行きました。
このようなことを数週間続けましたが、彼は登園することを極度に恐れるようになり、お母さんもいたたまれない気持ちになって幼稚園をやめました。
その後、彼はお母さんと一緒に家庭で過ごしましたが、いよいよ小学校入学を迎えたのです。お母さんが彼と一緒に教室に入ると、担任の先生はお母さんに出て行ってくださいと言います。
お母さんが出てしまえば、もちろん彼も出てきてしまいます。
そこでお母さんは身動きがとれなくなり、カウンセラーのもとに相談に来たのです。
彼は過敏で不安定で、他者との間に基本的信頼感を確立するのに時間のかかるタイプの子どもです。
しかし、一度それを確立できると繊細で鋭敏な個性を発揮し、とても独創的な成果を上げたりするのです。
彼のようなケースでは、私は「継次近接法」(文献)という方法を用います。
まず、養護教諭に協力してもらえないかどうかをお母さんに確かめてもらいました。
担任は硬派でも、他の先生はそうではないこともあるのです。
幸い養護教諭は協力を約束してくれました。
はじめは彼とお母さんが保健室に行き、養護教諭と5分間の雑談をしただけで一緒に帰宅します。
ばかばかしいことのようですが、学校の中に平安でいられる最低限の場所と時間を確保することが大切なのです。
それを1週間続けて平安が維持されたらそれをお互いに喜び合います。
そして次の週から10分間保健室で雑談をして帰宅します。
それを1週間続けて平安が維持されるかどうかをみます。
十分に平安でなく、不安が感じられたらその段階に留まって10分間登校を続けます。
そのように1週につき5分間ずつ時間を延長できるかどうかを慎重に検討しながら段階を進めました。
保健室で1時間程度遊べるようになったころ、教頭先生や家庭科の先生も、工作や手芸などをしながら相手をしてくれるようになりました。
在校時間は徐々に伸び、12月には給食の時間だけ学級に入ることができるようになりました。とりあえずそれだけでも十分な成果であると、私は考えていました。
しばらく静観していたら、新年度の5月にお母さんからハガキが来ました。
「2年生から毎日学級に元気に参加しています」との嬉しい報告でした。
別の小学校に同じように過敏な5年生の女の子がいました。
小学校1年生の4月に数名の同学年の女子から仲間外れにされたり悪口を言われたりしました。
とくに身体的に攻撃されたわけではありませんでしたが、初めて体験した言い知れぬ孤立感が強烈過ぎたようなのです。
クラスの子どもたち全体に対する不信感と彼らの視線に対する恐怖感から、第4学年が終わるまでほとんど登校できないままにきてしまいました。
しかし、お母さんは心配にとうとう耐えきれず、相談に来られました。
彼女の場合も「継次近接法」が役立つと思われました。
幸い、新担任と養護教諭が前向きな方々で、すぐに連携を組むことができました。
長年登校していなかった小学校に、放課後の静かな時間を見計らって彼女とお母さんが行き、1階の保健室のベランダの窓を触ってから帰宅することを1週間続けました。
何不自由なく生活している人から見れば「あほらしい」と思われるかもしれませんが、子どもの心理臨床というのは、このようなあほらしく見えることから始まることも多いのです。
放課後に来て帰ることができるとわかったので、今度は日中にテラスから保健室に入り、養護教諭の先生や都合をつけた担任の先生と5分間雑談することを、1学期間の課題にしました。同級生たちがプールで水泳の授業を受けているときなどは、姿を見られないように遠回りして保健室に来ました。
本人なりにいろいろ工夫をしながら、1学期間の5分間登校に成功しました。
2学期は10分間登校に挑戦することを、私は提案しました。
本人とお母さんと先生たちが話し合い、10分間登校をやってみる決心がつきました。
これもうまくいき、毎学期5分間ずつ伸ばしていくことにしました。
3学期は15分間になり、6年生の1学期は20分間、2学期は25分間になりました。
私はそこでハタと考えました。
25分間保健室登校できてもまもなく卒業。
大きな中学校に入学したらこんな取り組みの効果は消し飛んでしまうのではないか、と。
現実的には、中学校になっても小学校の延長で、保健室登校か個別学習室登校を継続していくことが妥当と思われました。
そのようなとき、ご両親と担任が学区にとらわれない特認校の制度があることに気づきました。最寄りの特認中学校は山村の中にありました。
1学年が7~8人の家族的な中学校です。
校長先生が生徒たちと一緒にキノコ採りをしてくれます。
運動会は村人総出で行いますので、村民運動会のようです。
彼女はこの中学校を自分の意志で選びました。
ご両親は彼女の送迎のために四駆の乗用車を買いました。
入学して半年後、学校便りに彼女がこう書きました。
「私はこれまで人を信じることができなくて苦しんでいました。でも、今はちがいます。私は人を信じることができるようになったし、人が大好きです。」
彼らは二人とも当初の場面に対しては過敏でした。
しかし、家族や先生たちが彼らの個人差を大切にしながらきちんと支え続けることによって、彼らは少しずつ社会的な場面に慣れていきました。
時間はかかりましたが、このようにして培った力と感じた喜びは、生涯にわたって彼らの人生により大きな強さと希望をもたらしてくれるであろうと、私は思うのです。
聖書には、「何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。」(ローマ14:2-3)と書かれています。神様はとても温かい眼差しで一人ひとりの個人差を受け入れ、大切にしてくださいます。
文献
真仁田昭・原野広太郎・沢崎達夫(編)(1995):学校カウンセリング辞典.
金子書房.
by ybible63
| 2006-04-13 09:23
| ★教育シリーズ(子育て)