2006年 03月 23日
教育シリーズ 第11回 |
*文章中に登場するすべての事例は、個人情報保護の関係で実在の人物そのものではありませんが、著者が取材した多くの人々からヒントを得て新たに創作したものです。
心を注ぎ出すこと 佐竹 真次
ある大学生が、中学校時代に音読で間違えてみんなに笑われ、それ以来音読恐怖になったといいます。
大学に入っても授業で音読する状況におかれると心臓の鼓動が激しくなり冷や汗が出て、読もうとしてもひどく吃ったり声が出なくなったりするというのです。
普段の会話は大丈夫なのですが、音読はずーっと避けたりごまかしたりしてきのだそうです。
本人から「もう逃げたくない、何とかしたい」という希望があり、系統的脱感作法(文献)という治療法を始めました。
まず治療の第1段階では親しい1人の友達の前で緊張しないで読めるように練習します。
第2段階では2人の前で読めるようにします。
ある段階で緊張が緩和されなかったら、その段階での練習を無理なく続けます。
その学生は5人の前で読めるようになった段階で、「自分の読み方はうまくはないが、これが自分の読み方なんだと、ありのままを受け容れられるような気がしてきた」と言いました。
6人の前で読めるようになった段階で治療を中止し、様子を見ることにしました。
今はもう、あの悩みはどこに行ってしまったのか、というぐらい伸び伸びと頑張っています。
その学生は自分の音読のことを大学に入って初めて他人に相談したということでした。
それまでは、ずーっと恥かしくて人に言えなかったのだそうです。
でも、今回はちょっと気が向いて相談する気になったというのです。
微妙な気持ちの動きです。学生は音読の件に関して初めて「自己開示」したことになります。
「自己開示」(self-disclosure)(文献)とは、自分についてのありのままを人に話すことです。具体的には自分の考え、気持ち、悩み、望み、生い立ちなどについて伝え合うことです。
自己開示には次のような効果があります。
①葛藤や不安やうっ積感が表出されるため、気持ちが楽になります。
②自分について言語化するので、ありのままの自分が見えてきます。
③お互いをよく知り合うことができるので、お互いの間に親密な気持ちが生まれます。
④お互いを認め合うことができるので、自分もありのままの自分を受け容れやすくなってきます。
自己開示は信頼関係がなければできませんし、誠実な自己開示がなければ信頼関係は深まりません。
実際に、私も自分について開示したことを批判せずにそのまま受け止めてもらえるとホッとします。
そうすると相手に対する信頼が増していきます。
指導者と被指導者の関係でも、まずはそのままの受け止めがないと、信頼関係は発展していきません。
逆に、相手がこちらのあら探しをする人だったらどうでしょうか?
こちらは話すことを遠慮するか、無難なことを話すだけで済ますか、非の打ち所のないような話ばかりするようになるかもしれません。
あら探しは、コンプレックスや競争心やねたみからくるのかもしれません。
また、相手がいわゆるお説教ばかりする人だったらどうでしょうか?
こちらは不利なことを一切話さなくなるかもしれません。お説教は、弱い人を支えきれないかもしれないという不安や、暗い話を聞いていると自分まで滅入ってしまうかもしれないという不安からくるのかもしれません。
相手がすぐ助言をしたがる人だったらどうでしょうか?こちらは「そんなこと、わかってるよ。でもねー」と言いたくなってしまうかもしれません。
過度な助言は、名案があるという自分の優秀さや面倒見の良さを示したいという気持ちからくるのかもしれません。
相手がすぐ「フン、つまらない」と言って軽んじる人だったらどうでしょうか?
こちらは「話しても無駄だ」と思って何も話さなくなるかもしれません。
そのような軽視は人への無関心からくるのかもしれません。
相手が秘密を守れない人だったらどうでしょうか?
こちらは重要な話を何一つしなくなるかもしれません。
秘密の漏えいは人の話を興味半分で聞こうとする気持ちからくるのかもしれません。
自己開示は競争心のない関係、お互いに尊重し合う関係の中でしか起こりません。
「なぜ人には口が1つで耳は2つあるのか?」と聞いた人に対して、ある人が「話すよりも人の話を2倍聞くためです」と答えたそうです。
親としては、子どもを指導しなければなりませんが、その前に子どもの話を十分に聞くこと、子どもの気持ちを十分にわかってあげることが必要です。
どれだけわかってあげられているか、それを示す目安が子どもの自己開示の程度なのかもしれません。
神様も私たちに自己開示を勧めておられます。
「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。」(詩篇62:8)
そして、神様はありのままの私たちの心を肯定的に受け止めてくださいます。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6-7)」
文献
小林重雄(編著)(2001):心理学概論.コレール社.
真仁田昭・原野広太郎・沢崎達夫(編)(1995):学校カウンセリング辞典.
金子書房.
心を注ぎ出すこと 佐竹 真次
ある大学生が、中学校時代に音読で間違えてみんなに笑われ、それ以来音読恐怖になったといいます。
大学に入っても授業で音読する状況におかれると心臓の鼓動が激しくなり冷や汗が出て、読もうとしてもひどく吃ったり声が出なくなったりするというのです。
普段の会話は大丈夫なのですが、音読はずーっと避けたりごまかしたりしてきのだそうです。
本人から「もう逃げたくない、何とかしたい」という希望があり、系統的脱感作法(文献)という治療法を始めました。
まず治療の第1段階では親しい1人の友達の前で緊張しないで読めるように練習します。
第2段階では2人の前で読めるようにします。
ある段階で緊張が緩和されなかったら、その段階での練習を無理なく続けます。
その学生は5人の前で読めるようになった段階で、「自分の読み方はうまくはないが、これが自分の読み方なんだと、ありのままを受け容れられるような気がしてきた」と言いました。
6人の前で読めるようになった段階で治療を中止し、様子を見ることにしました。
今はもう、あの悩みはどこに行ってしまったのか、というぐらい伸び伸びと頑張っています。
その学生は自分の音読のことを大学に入って初めて他人に相談したということでした。
それまでは、ずーっと恥かしくて人に言えなかったのだそうです。
でも、今回はちょっと気が向いて相談する気になったというのです。
微妙な気持ちの動きです。学生は音読の件に関して初めて「自己開示」したことになります。
「自己開示」(self-disclosure)(文献)とは、自分についてのありのままを人に話すことです。具体的には自分の考え、気持ち、悩み、望み、生い立ちなどについて伝え合うことです。
自己開示には次のような効果があります。
①葛藤や不安やうっ積感が表出されるため、気持ちが楽になります。
②自分について言語化するので、ありのままの自分が見えてきます。
③お互いをよく知り合うことができるので、お互いの間に親密な気持ちが生まれます。
④お互いを認め合うことができるので、自分もありのままの自分を受け容れやすくなってきます。
自己開示は信頼関係がなければできませんし、誠実な自己開示がなければ信頼関係は深まりません。
実際に、私も自分について開示したことを批判せずにそのまま受け止めてもらえるとホッとします。
そうすると相手に対する信頼が増していきます。
指導者と被指導者の関係でも、まずはそのままの受け止めがないと、信頼関係は発展していきません。
逆に、相手がこちらのあら探しをする人だったらどうでしょうか?
こちらは話すことを遠慮するか、無難なことを話すだけで済ますか、非の打ち所のないような話ばかりするようになるかもしれません。
あら探しは、コンプレックスや競争心やねたみからくるのかもしれません。
また、相手がいわゆるお説教ばかりする人だったらどうでしょうか?
こちらは不利なことを一切話さなくなるかもしれません。お説教は、弱い人を支えきれないかもしれないという不安や、暗い話を聞いていると自分まで滅入ってしまうかもしれないという不安からくるのかもしれません。
相手がすぐ助言をしたがる人だったらどうでしょうか?こちらは「そんなこと、わかってるよ。でもねー」と言いたくなってしまうかもしれません。
過度な助言は、名案があるという自分の優秀さや面倒見の良さを示したいという気持ちからくるのかもしれません。
相手がすぐ「フン、つまらない」と言って軽んじる人だったらどうでしょうか?
こちらは「話しても無駄だ」と思って何も話さなくなるかもしれません。
そのような軽視は人への無関心からくるのかもしれません。
相手が秘密を守れない人だったらどうでしょうか?
こちらは重要な話を何一つしなくなるかもしれません。
秘密の漏えいは人の話を興味半分で聞こうとする気持ちからくるのかもしれません。
自己開示は競争心のない関係、お互いに尊重し合う関係の中でしか起こりません。
「なぜ人には口が1つで耳は2つあるのか?」と聞いた人に対して、ある人が「話すよりも人の話を2倍聞くためです」と答えたそうです。
親としては、子どもを指導しなければなりませんが、その前に子どもの話を十分に聞くこと、子どもの気持ちを十分にわかってあげることが必要です。
どれだけわかってあげられているか、それを示す目安が子どもの自己開示の程度なのかもしれません。
神様も私たちに自己開示を勧めておられます。
「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である。」(詩篇62:8)
そして、神様はありのままの私たちの心を肯定的に受け止めてくださいます。
「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(ピリピ4:6-7)」
文献
小林重雄(編著)(2001):心理学概論.コレール社.
真仁田昭・原野広太郎・沢崎達夫(編)(1995):学校カウンセリング辞典.
金子書房.
by ybible63
| 2006-03-23 05:05
| ★教育シリーズ(子育て)