2006年 03月 23日
教育シリーズ 第10回 |
ほめられるのが嫌いな子どもたち
佐竹 真次
子どもを育てる場合に限らず、人間関係全般において健全な関係を育て、維持するためには、相手の良い行いや温かい心遣いをきちんとほめ、逆に、相手の悪い行いや失礼なふるまいに対しては臆せず苦情申し立てをすることが重要です。
だれでもほめられることは好きなはずですし、それが励みとなって生きる意欲が増すこともあります。
しかし、子どもたちの中には、「ほめられることが嫌いだ」「ほめられなくてもいいよ」と言う人も少なからずいることに、最近気づきました。
ほめられた後には嫌な気持ちになることが多いからだというのです。
なぜ嫌な気持ちになるのでしょうか。そこで「どんなふうにほめられているの?」と聞いてみました。
以下は子どもたちが教えてくれた親のほめことばです。
・「わりといい点数取れたじゃない?いつもこうならいいのにね。普段は取れ
ないから」
・「掃除を手伝うなんて気がきくじゃない?これから毎日やってね」
・「荷物を持ってくれてありがとう。もう一つ持てる?」
・「まあまあの出来だね。でも入賞は期待しないよ。期待はずれになるとがっ
かりするからね」
・「今回はこれだけうまくできたんだから、次回はもっとうまくできるだろう
な」
・「やりゃーできるじゃない?普段は手を抜いてることがわかったよ」
これらは期待過剰なほめことばといえます。
ほめたことをきっかけに、親自身の心の中の期待感や欲望がうっかり漏れ出てしまうのです。親はほめているつもりですが、子どもにとっては重荷がかぶさってくるだけなのです。
他にも、「軽蔑のこもったほめことば」「不信感のこもったほめことば」「結局叱られてしまうほめことば」「ねたみのこもったほめことば」「恩着せがましいほめことば」「過去ばかりほめるほめことば」「他人と比較するほめことば」「おべんちゃらのほめことば」など、たくさんの種類があります。
これらは「ほめことばに似て非なるもの」です。
まるでカミソリの刃が入った大福餅のようなものです。
こんなグサリとくるほめことばをしょっちゅう聞かされていたのでは、しまいには「このやろー」と殴りたくなってしまいます。
ほめられることを嫌がる子どもたちは、ほめことばをそんなふうに警戒したり不愉快に思ったりしているのではないでしょうか。
私はよく「子どもさんの良い部分をほめてあげてください」と親御さんに頼みますが、たいていの親御さんは「いつも十分にほめています。
これ以上どうほめろというんですか」と言われます。
しかし、大人が実際にどんなほめことばを言っているのかを知ったとき、そんなふうに依頼することを私は躊躇するようになりました。
ほめ方についても細かく説明しなくてはならないとは…。
本当は、適切なほめことばは単純な一言でよいのです。
ニッコリとしながら、「よくできたよ」「うれしいよ」「ありがとう」「りっぱだよ」「さすが」「よく頑張ったね」「すばらしい」「よかったね」「できると思ってたよ」「信じてたよ」「おめでとう」のように一言だけ言えばいいのです。
ほめことばには喜びの気持ちと爽やかさが必要ですから、しつっこくなってしまったら逆効果になります。
実は神様も、非常にわかりやすいほめことばを使っておられます。
神様ははっきりと善をほめ、悪をしかる方ですから、ほめことばの中に決してカミソリの刃を入れるようなことはなさいません。
「主人から(神様のことを表しています)5タラント預かった者が来て、もう5タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に5タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに5タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイ25:20-21)と聖書には書いてあります。
さすが、神様のほめことばは喜びに満ちていて、そのうえ爽やかです。そんなふうにほめられたら、嬉しくなってやる気が湧いてきます。
佐竹 真次
子どもを育てる場合に限らず、人間関係全般において健全な関係を育て、維持するためには、相手の良い行いや温かい心遣いをきちんとほめ、逆に、相手の悪い行いや失礼なふるまいに対しては臆せず苦情申し立てをすることが重要です。
だれでもほめられることは好きなはずですし、それが励みとなって生きる意欲が増すこともあります。
しかし、子どもたちの中には、「ほめられることが嫌いだ」「ほめられなくてもいいよ」と言う人も少なからずいることに、最近気づきました。
ほめられた後には嫌な気持ちになることが多いからだというのです。
なぜ嫌な気持ちになるのでしょうか。そこで「どんなふうにほめられているの?」と聞いてみました。
以下は子どもたちが教えてくれた親のほめことばです。
・「わりといい点数取れたじゃない?いつもこうならいいのにね。普段は取れ
ないから」
・「掃除を手伝うなんて気がきくじゃない?これから毎日やってね」
・「荷物を持ってくれてありがとう。もう一つ持てる?」
・「まあまあの出来だね。でも入賞は期待しないよ。期待はずれになるとがっ
かりするからね」
・「今回はこれだけうまくできたんだから、次回はもっとうまくできるだろう
な」
・「やりゃーできるじゃない?普段は手を抜いてることがわかったよ」
これらは期待過剰なほめことばといえます。
ほめたことをきっかけに、親自身の心の中の期待感や欲望がうっかり漏れ出てしまうのです。親はほめているつもりですが、子どもにとっては重荷がかぶさってくるだけなのです。
他にも、「軽蔑のこもったほめことば」「不信感のこもったほめことば」「結局叱られてしまうほめことば」「ねたみのこもったほめことば」「恩着せがましいほめことば」「過去ばかりほめるほめことば」「他人と比較するほめことば」「おべんちゃらのほめことば」など、たくさんの種類があります。
これらは「ほめことばに似て非なるもの」です。
まるでカミソリの刃が入った大福餅のようなものです。
こんなグサリとくるほめことばをしょっちゅう聞かされていたのでは、しまいには「このやろー」と殴りたくなってしまいます。
ほめられることを嫌がる子どもたちは、ほめことばをそんなふうに警戒したり不愉快に思ったりしているのではないでしょうか。
私はよく「子どもさんの良い部分をほめてあげてください」と親御さんに頼みますが、たいていの親御さんは「いつも十分にほめています。
これ以上どうほめろというんですか」と言われます。
しかし、大人が実際にどんなほめことばを言っているのかを知ったとき、そんなふうに依頼することを私は躊躇するようになりました。
ほめ方についても細かく説明しなくてはならないとは…。
本当は、適切なほめことばは単純な一言でよいのです。
ニッコリとしながら、「よくできたよ」「うれしいよ」「ありがとう」「りっぱだよ」「さすが」「よく頑張ったね」「すばらしい」「よかったね」「できると思ってたよ」「信じてたよ」「おめでとう」のように一言だけ言えばいいのです。
ほめことばには喜びの気持ちと爽やかさが必要ですから、しつっこくなってしまったら逆効果になります。
実は神様も、非常にわかりやすいほめことばを使っておられます。
神様ははっきりと善をほめ、悪をしかる方ですから、ほめことばの中に決してカミソリの刃を入れるようなことはなさいません。
「主人から(神様のことを表しています)5タラント預かった者が来て、もう5タラント差し出して言った。『ご主人さま。私に5タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はさらに5タラントもうけました。』
その主人は彼に言った。『よくやった。良い忠実なしもべだ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ。』」(マタイ25:20-21)と聖書には書いてあります。
さすが、神様のほめことばは喜びに満ちていて、そのうえ爽やかです。そんなふうにほめられたら、嬉しくなってやる気が湧いてきます。
by ybible63
| 2006-03-23 05:59
| ★教育シリーズ(子育て)