2004年 05月 16日
耐え難きを耐えて… |
『彼は、自分のいのちの激しい苦しみのあとを見て、満足する。』
イザヤ書53章11節
「耐え難きを耐えて…」、これは何も、天皇陛下の玉音放送の話じゃありません。
これは、イエス様の十字架の受難の話なんです。
皆さんは、その苦しみの現実を、どれだけ想像してみたことがありますでしょうか?
最近の新刊の『ナザレのイエスは神の子か?』という本の中に、そのことを、法医学者が具体的に再現してくれてる箇所がありました。
それはまさに、身震いするようなバイオレンスの嵐です。
そして、その十字架の尋常じゃない苦痛を表現するために、人は、新しいことばを作り出さなければ行けませんでした。
英語で「非常に苦しい」という意味のexcruciatingということばがそうです。
それは、「十字架から」というのが語源的な意味だというんです。
私たちは、この世の中で、様々な苦しみ痛みを経験させられて、「こんな苦しいことは他にない。自分くらい辛い目にあってる人間は、他にいないんじゃないだろうか…」と思うこともあるかもしれません。けれども、そんな時に、十字架のイエス様は、私たちにこう語りかけられるんです。
「決してそんなことはありませんよ」って…。
そしてイエス様は、私たちに、ご自分の十字架を仰ぐように招かれます。
その時私たちは、私たち自身の苦しみ痛みを、実はイエス様があの十字架で背負ってくださっているという霊的実感を覚えるようになるんです。
そのためにこそ、イエス様は、あの十字架で、歴史上「最も耐え難きを耐え」られました。
だから私たちも、十字架のイエス様を仰ぎつつ、今日の「耐え難き」を、勇気をもって耐え忍んで行こうじゃないですか…。
寒河江担当牧師 津嶋理道
イザヤ書53章11節
「耐え難きを耐えて…」、これは何も、天皇陛下の玉音放送の話じゃありません。
これは、イエス様の十字架の受難の話なんです。
皆さんは、その苦しみの現実を、どれだけ想像してみたことがありますでしょうか?
最近の新刊の『ナザレのイエスは神の子か?』という本の中に、そのことを、法医学者が具体的に再現してくれてる箇所がありました。
それはまさに、身震いするようなバイオレンスの嵐です。
そして、その十字架の尋常じゃない苦痛を表現するために、人は、新しいことばを作り出さなければ行けませんでした。
英語で「非常に苦しい」という意味のexcruciatingということばがそうです。
それは、「十字架から」というのが語源的な意味だというんです。
私たちは、この世の中で、様々な苦しみ痛みを経験させられて、「こんな苦しいことは他にない。自分くらい辛い目にあってる人間は、他にいないんじゃないだろうか…」と思うこともあるかもしれません。けれども、そんな時に、十字架のイエス様は、私たちにこう語りかけられるんです。
「決してそんなことはありませんよ」って…。
そしてイエス様は、私たちに、ご自分の十字架を仰ぐように招かれます。
その時私たちは、私たち自身の苦しみ痛みを、実はイエス様があの十字架で背負ってくださっているという霊的実感を覚えるようになるんです。
そのためにこそ、イエス様は、あの十字架で、歴史上「最も耐え難きを耐え」られました。
だから私たちも、十字架のイエス様を仰ぎつつ、今日の「耐え難き」を、勇気をもって耐え忍んで行こうじゃないですか…。
寒河江担当牧師 津嶋理道
by ybible63
| 2004-05-16 20:28
| ★読み物