2005年 12月 01日
子どもをおこらせないためには |
教育シリーズ 第2回
佐竹 真次
親なら誰でも、子どもの心を岩のような安定した基盤の上に建て上げてやりたいものだ、と思います。
そして、そのような安定した基盤の正体は、家族間の温かい日常的なコミュニケーションなのだ、と誰もが想像しています。
しかし、そんなことを書きながらも、私は家庭に帰るとけっこう子どもを怒らせていることが多く、日々自戒させられています。
聖書はこう言います。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」(エペソ6:4) これを正しく実行することの難しさを思わせられます。
ところで、カウンセリングの基本的な技法のなかに、相手の話を適宜に繰り返してあげる「繰り返し」(英語では、[反射する]という意味のreflectionということばです)という技法があります。たとえば、
こども「ちょっと聞いてよ。今日、わり算のぬきうちテストがあったんだよ。」
おや 「そう、わり算のぬきうちテストがあったのー?」
こども「そうだよ。ひどいと思わない?A先生ったら最低だよ。チョームカツク」
おや 「予告してくれてなかったから、ひどいと思ったのね。それでA先生に腹が立つんだ。」
こども「うん。それにね、20問出たんだけどね、わたしは13問しかできなかったのよ。それがさー、まわりの友達はほとんどできてたんだよ。それで、すごく焦っちゃってさー。」
ここまでは「繰り返し」がうまくいきましたが、この先が問題です。
おや 「あんたねー、みんなができてんのに、なんであんただけできないのよ。そもそも勉強の仕方がまずいんじゃない?ふだんわり算問題の練習をするとき、問題の意味なんて考えないで、形だけさらりとやってばかりいるから、ぬきうちされるとボロが出ちゃうんじゃない?もっと集中して勉強しなさい!」
こども「どうせ、わたしはできないんですよ!」(怒ってしまう)
「おや」は「友達はほとんどできた」ということばに火をつけられて感情があらわになってしまったのかもしれませんね。こういうことは私にもよくあることです。
それでは、次のように「繰り返し」を維持してみたらどうでしょうか。
おや 「20問中13問はできたのね。でも、まわりの友達がほとんどできてるみたいだったから、焦っちゃったんだ。」
こども「そうなんだよね。みんな、ぬきうちのこと知ってたのかなー。知らなかったとしたら、結構ちゃんと勉強してるんだー。」
おや 「友達が結構ちゃんと勉強してるみたいな気がするわけね?うーむ。どうしたらいいもんかねー。」
こども「うん。やっぱり、ぬきうちもあるかも知んないって思って、もう少しまじめに勉強してみっかー。」
おや 「そりゃー立派な考えだ。さすが我が子。明日からそれでいってみたら。」
こども「うん。そうするよ。」
いつもこんなにうまくまとまるとは限りませんが、感情に火をつけられないで「繰り返し」の技法を使い続けると、子どもを自発的で主体的な決断に導ける場合が多いのです。
「ふん、ふん」と心なく相づちを打たれているよりも、発言を相手に繰り返してもらえると、相手に受け容れられ理解されているという安堵感を持つとともに、自分の気持ちや考えがはっきりとしてきて、落ち着いて自分の心を観察できるようになり、おのずと、今後どのようにしていったらいいのかを考えられるようになっていくのです。
もちろん、明らかな罪や緊急性の高い問題については、子どもをしっかりと叱る、しつけるというのが親の義務です。
しかし、罪でない場合でも叱ったりたしなめたりして、子どもを怒らせていることがよくあります。
普段の小さな「受容」と「繰り返し」と「自己決断への導き」は、1回1回はたいしたことなくとも、長い間蓄積されると大きな力になるような気がするのです。
佐竹 真次
親なら誰でも、子どもの心を岩のような安定した基盤の上に建て上げてやりたいものだ、と思います。
そして、そのような安定した基盤の正体は、家族間の温かい日常的なコミュニケーションなのだ、と誰もが想像しています。
しかし、そんなことを書きながらも、私は家庭に帰るとけっこう子どもを怒らせていることが多く、日々自戒させられています。
聖書はこう言います。「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」(エペソ6:4) これを正しく実行することの難しさを思わせられます。
ところで、カウンセリングの基本的な技法のなかに、相手の話を適宜に繰り返してあげる「繰り返し」(英語では、[反射する]という意味のreflectionということばです)という技法があります。たとえば、
こども「ちょっと聞いてよ。今日、わり算のぬきうちテストがあったんだよ。」
おや 「そう、わり算のぬきうちテストがあったのー?」
こども「そうだよ。ひどいと思わない?A先生ったら最低だよ。チョームカツク」
おや 「予告してくれてなかったから、ひどいと思ったのね。それでA先生に腹が立つんだ。」
こども「うん。それにね、20問出たんだけどね、わたしは13問しかできなかったのよ。それがさー、まわりの友達はほとんどできてたんだよ。それで、すごく焦っちゃってさー。」
ここまでは「繰り返し」がうまくいきましたが、この先が問題です。
おや 「あんたねー、みんなができてんのに、なんであんただけできないのよ。そもそも勉強の仕方がまずいんじゃない?ふだんわり算問題の練習をするとき、問題の意味なんて考えないで、形だけさらりとやってばかりいるから、ぬきうちされるとボロが出ちゃうんじゃない?もっと集中して勉強しなさい!」
こども「どうせ、わたしはできないんですよ!」(怒ってしまう)
「おや」は「友達はほとんどできた」ということばに火をつけられて感情があらわになってしまったのかもしれませんね。こういうことは私にもよくあることです。
それでは、次のように「繰り返し」を維持してみたらどうでしょうか。
おや 「20問中13問はできたのね。でも、まわりの友達がほとんどできてるみたいだったから、焦っちゃったんだ。」
こども「そうなんだよね。みんな、ぬきうちのこと知ってたのかなー。知らなかったとしたら、結構ちゃんと勉強してるんだー。」
おや 「友達が結構ちゃんと勉強してるみたいな気がするわけね?うーむ。どうしたらいいもんかねー。」
こども「うん。やっぱり、ぬきうちもあるかも知んないって思って、もう少しまじめに勉強してみっかー。」
おや 「そりゃー立派な考えだ。さすが我が子。明日からそれでいってみたら。」
こども「うん。そうするよ。」
いつもこんなにうまくまとまるとは限りませんが、感情に火をつけられないで「繰り返し」の技法を使い続けると、子どもを自発的で主体的な決断に導ける場合が多いのです。
「ふん、ふん」と心なく相づちを打たれているよりも、発言を相手に繰り返してもらえると、相手に受け容れられ理解されているという安堵感を持つとともに、自分の気持ちや考えがはっきりとしてきて、落ち着いて自分の心を観察できるようになり、おのずと、今後どのようにしていったらいいのかを考えられるようになっていくのです。
もちろん、明らかな罪や緊急性の高い問題については、子どもをしっかりと叱る、しつけるというのが親の義務です。
しかし、罪でない場合でも叱ったりたしなめたりして、子どもを怒らせていることがよくあります。
普段の小さな「受容」と「繰り返し」と「自己決断への導き」は、1回1回はたいしたことなくとも、長い間蓄積されると大きな力になるような気がするのです。
by ybible63
| 2005-12-01 09:10
| ★教育シリーズ(子育て)