2005年 12月 01日
砂の上に建てられた心と岩の上に建てられた心 |
教育シリーズ 第1回
佐竹 真次
数年前の話です。中1の娘と小5の息子は毎晩9時30分に床に着きます。
以前もときどきしていましたが、最近になってなぜか子どもたちがどんどん父親から離れていくような気がして、今のうちにと思い、床に着いた子どもたちに混ざって15分程度雑談をし、聖書を読んで祈ることにしました。
この雑談、たいてい乗りにのって20~30分にも延びることが多く、妻から「早く寝かせなさい。明日があるんだから」と注意されます。
私は「あー、そう。それで?」「うむ、うむ」「○○したんだー」ともっぱら聞き、「それはよかったねー」「それはつらかったねー」などと少しコメントするだけなのです。
子どもたちは楽しかったこともさることながら、むかついたこと、ゆるせなかったこと、つらかったことなどをけっこう話してくれます。
私は正直言って、子どもの世界には大人の世界にもまさって腹の立つことやつらいことがあるものだなー、と感じます。
大人ならお互いに気を遣って言わないようなこと、しないようなことまで、友達には言われたりされたりしてしまうことがあるようです。
強気の親なら「そんなこと言われたら、言い返してやれ!」と言いたくなってしまうことがあるでしょうね。
しかし、強気の親から必ず強気の子どもが生まれるとは限りません。「そんなこと言ったら、いじめられちゃう」と言うのです。
私もよく失敗するのですが、親が意見をし始めると会話はすぐにしらけてしまって、子どもは怒り出し口を開かなくなります。
子どもは気持ちをわかってほしいだけなのです。子どもの方から「どうしたらいいかなあ?」と問いかけられたときにだけ、「よっしゃー」と心では思いながらもさりげなく意見を言うようにしています。
でも素直に「はい」と聞き入れるわけでもないので、たたみかけ、ついには追い込んでしまうことがあります。
後になって、素直でなくても頭には入っていたんだ、とわかり、反省させられることがよくあります。
いずれ子どもたちも容易に口をきいてくれなくなるときがくるでしょう。
大きなストレスや耐えがたい思いを自分一人で背負い込み解決しなければならないことも増えてくるでしょう。
そういった問題を嵐にたとえると、子どもの心は吹きさらされる家ということになるでしょうか。 れなら、家を建てている土台は家族とのこれまでのコミュニケーションかもしれません。
砂の土台でなく、岩の土台にするにはどんなコミュニケーションにすればいいのでしょうか。
聖書の中にはそのようなヒントがたくさん書かれています。
次回からそういったヒントについて書かせていただきます。
佐竹 真次
数年前の話です。中1の娘と小5の息子は毎晩9時30分に床に着きます。
以前もときどきしていましたが、最近になってなぜか子どもたちがどんどん父親から離れていくような気がして、今のうちにと思い、床に着いた子どもたちに混ざって15分程度雑談をし、聖書を読んで祈ることにしました。
この雑談、たいてい乗りにのって20~30分にも延びることが多く、妻から「早く寝かせなさい。明日があるんだから」と注意されます。
私は「あー、そう。それで?」「うむ、うむ」「○○したんだー」ともっぱら聞き、「それはよかったねー」「それはつらかったねー」などと少しコメントするだけなのです。
子どもたちは楽しかったこともさることながら、むかついたこと、ゆるせなかったこと、つらかったことなどをけっこう話してくれます。
私は正直言って、子どもの世界には大人の世界にもまさって腹の立つことやつらいことがあるものだなー、と感じます。
大人ならお互いに気を遣って言わないようなこと、しないようなことまで、友達には言われたりされたりしてしまうことがあるようです。
強気の親なら「そんなこと言われたら、言い返してやれ!」と言いたくなってしまうことがあるでしょうね。
しかし、強気の親から必ず強気の子どもが生まれるとは限りません。「そんなこと言ったら、いじめられちゃう」と言うのです。
私もよく失敗するのですが、親が意見をし始めると会話はすぐにしらけてしまって、子どもは怒り出し口を開かなくなります。
子どもは気持ちをわかってほしいだけなのです。子どもの方から「どうしたらいいかなあ?」と問いかけられたときにだけ、「よっしゃー」と心では思いながらもさりげなく意見を言うようにしています。
でも素直に「はい」と聞き入れるわけでもないので、たたみかけ、ついには追い込んでしまうことがあります。
後になって、素直でなくても頭には入っていたんだ、とわかり、反省させられることがよくあります。
いずれ子どもたちも容易に口をきいてくれなくなるときがくるでしょう。
大きなストレスや耐えがたい思いを自分一人で背負い込み解決しなければならないことも増えてくるでしょう。
そういった問題を嵐にたとえると、子どもの心は吹きさらされる家ということになるでしょうか。 れなら、家を建てている土台は家族とのこれまでのコミュニケーションかもしれません。
砂の土台でなく、岩の土台にするにはどんなコミュニケーションにすればいいのでしょうか。
聖書の中にはそのようなヒントがたくさん書かれています。
次回からそういったヒントについて書かせていただきます。
by ybible63
| 2005-12-01 09:27
| ★教育シリーズ(子育て)