6月11日説教要約 |
「マタイの召命」(マタイ9章9~13節) 牧師 紺野真和
イエス様は取税人であるマタイを弟子として招かれた。当時、ローマ帝国は自国の繁栄のために支配する地域から税金を集めた。ところでユダヤ人たちはメシアによってもたらされる政治的なダビデ王国の復興を待ち望んでいた。その国がローマの支配から自分たちを救うと信じていた。そのためにユダヤ人たちはローマ帝国の繁栄のために税金を集める取税人を忌み嫌い、裏切り者、売国奴と受け止めた。また取税人は自分たちの財産を増やすために、定められいた額以上を人々から奪い取っていた。聖書では取税人は盗人、不正な者、遊女と並んで出て来る。驚くべきことに、イエス様は、ラビたちを絶対に弟子にしなかった、むしろ交わる事さえしなかった取税人を弟子として招かれた。取税人を弟子として招かれたことに、イエス様がもたらす神の国の民がどのような者であるかが現わされている。イエス様がもたらした神の国の民とはどのような民であるのかを見る。この後、イエス様は大勢の罪人、取税人と共に食事をした。それを見て批判したパリサイ人たちに、「医者を必要とするのは、丈夫なものではなく病人です。わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです」と言われた。そしてこの出来事の前に、イエス様が中風の人に罪の赦しを与えた記事が記されている。この流れを考えると、イエス様がもたらした神の国の民とは、自分が罪人であると認め、イエス様によって罪赦された人々のことであることが分かる。きっと取税人マタイはイエス様によってもたらされた神の国の民の象徴的存在であったのであろう。マタイは自分が取税人であることを隠すことはなかった(参照マタイ10:3参照)。ところでイエス様の弟子となるというマタイの決断は、後戻りはできない大変リスクの伴うものであった。どうしてマタイはその決断をすることができたのか。それは自分の全財産を捨てても、イエス様の弟子となる、神の国の民となることが価値のある事であると考えたからです。この決断をしたマタイは、神様に豊かに用いられ、全世界に福音を伝えるマタイの福音書を記すなど、素晴らしい働きをした。