3月26日説教要約 |
「主のみわざ」(マルコ1章21~28節)
牧師 紺野真和
イエス様は旧約聖書に約束されていた神の国をもたらした。神の国とは、イエス様のご支配のことであり、個人、教会、そして全世界に及ぶものであり、その完成はイエス様の再臨の時である。イエス様は権威ある教えと権威ある御業によって神の国が到来したことを伝えた。今朝はイエス様が悪霊のかしら、悪魔になしたことを見る。
1,悪魔の敗北。悪魔は天使が高慢のゆえに堕落したものであり、アダムとエバを誘惑し罪を犯させて以来、人間を誘惑し神に近づけないようにしている。イエス様はその悪魔を滅ぼすために来られた。悪魔の敗北は、イエス様が地上で神様の御心に従い、最後に全ての人の贖いのために十字架で死ぬことによってもたらされる。悪魔はイエス様にそうさせまいと働いた。ヘロデ王を通してイエス様を殺そうとしたり、荒野で誘惑したり、ペテロを通して十字架の道から引き離そうとしたりした。しかし、イエス様は最後まで徹底して父なる神様に従い、すべての人のために十字架に架かり死なれた。この事を通して悪魔は敗北した。しばらくの間、悪あがきはするが、神様の時に燃えるゲヘナに投げ込まれ滅ぼされる。すなわち、イエス様の十字架によって神の国の完成することが決定したのである。従ってクリスチャンは確信をもって神の国の完成を待ち望む事が出来るのである。
2,悪魔からの解放。聖書はイエス様を信じる前は、その人は気付いていないが悪魔の支配の内にあると語る(使徒27:16~18)。イエス様を信じる者は、悪魔の支配から解放されてイエス様の支配に移されたと語る(コロサイ1:13)。以前使っていた讃美歌「もろびとこぞりて」には、イエス様が悪魔の牢獄に捕えられていた私たちを解放して下さった事が歌われている。悪魔の牢獄とはどのような所か。①霊的孤独、②不安、③拘束されている所である。イエス様の十字架によって、そのような牢獄から解放された私たちには、神様との交わりが与えられ、頼るべき方を持つことができ、喜んで自由に生きる事ができるようにされた。