2月19日説教要旨 |
「新しく生まれる」(ヨハネ3章1~16節) 牧師 紺野真和
イエス様は、ガリラヤのカナで水を葡萄酒に変えられる奇跡を行い、人々に喜びをもたらされた。その後カペナウムに行き、過越しの祭りの時にエルサレムに上られた。エルサレムに滞在中、パリサイ人でユダヤ議員であったニコデモが教えを請いに来た。
1,新しく生まれる。恐らくニコデモは神の国について聞きに来たのであろう。イエス様は彼に「新しく生まれなければ、神の国を見ることができません」と言われた。ニコデモはイエス様のことばをもう一度、肉体的に生まれ直すことであると誤解した。イエス様は、新しく生まれるとは、御霊と水によって生まれる事であると伝えた。このことは、ニコデモたちパリサイ人たちの考えている神の国に入る条件とは違っていた。ユダヤ人は自分たちがアブラハムの子孫であるゆえに、その中でもパリサイ人たちは律法を厳格に行っているゆえ神の国に入れると考えていた。しかし、イエス様は神の国に入るには新しい誕生が必要であると語られた。このことは旧約聖書のエゼキエル36章26節に記されていたが、ニコデモは理解できていなかったのかもしれない。
2,イエス様の犠牲。次にイエス様はニコデモに「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子も上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠の命を持つためです」(15)と話した。エジプトを脱出したイスラエルの民が荒野での40年間を過ごした後、彼らは主とモーセに対して罪を犯した。神様は裁きとして蛇を送り、蛇にかまれたイスラエルの民は死んだ。イスラエルの民が主に助けを求めた時、主はモーセに燃える青銅の蛇を作らせ、竿の上に付けさせた。その蛇を見た者は救われた。イエス様はすべての人の罪の贖いのために十字架に架かられた。イエス様を信仰を持って受け止める者は永遠のいのちを持つことができる。イエス様は人間を神の国に入れて下さるために犠牲を払われたのである。
3,神様の愛。聖書は、これらすべては神様の愛から出ていることを伝えた。
神様の愛を感謝を持って受け止めよう。