1月22日説教要約 |
「主を見上げて」(マタイ14章22~33節) 牧師 紺野真和
この箇所でマタイが強調していることはイエス様が湖の上を歩いて弟子たちのところに来られたという事実である。イエス様はこの奇跡を通してご自分がどなたであるかを弟子たちに伝えようとされた。この奇跡以前にも、イエス様は嵐のガリラヤ湖を静めるという奇跡を行われ、ご自分が自然界を支配する権威を持っておられることを伝えた。ここでもイエス様は弟子たちに同じことを伝えようとされたのであろうか。さらに弟子たちを深い理解へと導こうとされたのであろう。この前日にイエス様は五つのパンと二匹の魚で大勢の人々を養う奇跡を行った。次の日、湖の上を歩く奇跡をなされた。更に、湖の奇跡を行う時に、イエス様は弟子たちに「わたしはある」という言葉を語り掛けられた(14章27節の「わたしだ」は「わたしはある」という言葉である)。人々の空腹を満たす奇跡、湖の上を歩く奇跡、「わたしはある」という言葉で弟子たちがすぐ連想するのは、イスラエルの民が出エジプトした時のことである。主なる神様はイスラエルの民に「わたしはある」(出エジ3:14)とご自身を紹介し、紅海を二つに分け民に乾いたところを渡らせ(出エジ14:21)、荒野で日々マナをもって養った(出エジ16:13)。今回、イエス様は、ご自分が自然界を支配する権威を持っておられるにとどまらず、主なる神と等しい方であることを弟子たちに伝えようとされたのである。弟子たちは、以前の嵐を静める奇跡では、イエス様に対して「いったいこの方はどういう方なのだろうか」(マタイ8:27)と告白し、今回は「まことにあなたは神の子です」と言って礼拝した(マタイ14:33)。そして弟子たちはこの後に聖霊を通してイエス様を「神の子キリストである」と告白するに至った。この箇所がまず伝えていることはイエス様がどなたであるかということである。
しかし、この箇所を通してイエス様は、嵐の中の湖をご自身を信頼して歩んだペテロのように、クリスチャンが人生の嵐の中でも主を信じて歩むように、更に主を見失い溺れかけたペテロをイエス様が救われたように、人生の嵐の中で溺れてしまう時にも、私たちに主の助けがあることを教えている。