10月13日説教要旨 |
~先主日の礼拝(早朝)メッセージ要旨~
<Ⅰペテロ1:3~9>
試練の中における喜び
牧師 鳥居 完次
「試練」と「喜び」。一般的にはお互いに相容れない感情、矛盾する人生経験。しかし、それがここに「生ける望み」として同居している<6~8>。その不思議を解く鍵はどこに?。
1.「生ける望み」という資産は、将来完全に受け継げるように天に蓄えられている<4>。
それにしても、この「生ける望み」が、「朽ちることも、汚れることも、消えていくことのない資産」<4a>である根拠は何か。朽ちるいのち、消えていくいのちの根本原因である罪の完全な清算(解決)のために、神が救い主をこの世に遣わして下さり、キリストが十字架の死から復活されたところにある<3>。そして、この資産は私たちが将来確かに完全に受け継げるように、天に蓄えられている<4b>。しかし、これは単に将来のためだけではない。
2.「生ける望み」という資産は、現在信仰により神の御力によって守られている<5>。この資産は、(換言すれば)「朽ちることも、消えていくこともない本当の喜び」とも言える。神は、その「本当の喜び」そのものである御子イエス・キリストをこの世に遣わし、キリストの十字架と復活の出来事を通して、その本当の喜びを現実に味わえる道をもたらされた。即ち、それは救い主キリストと信仰によって結びつくことを通して与えられるものである。それこそ、キリストが十字架を前に弟子たちに語られたことである<ヨハネ15:5、11>。その意味で、今や私たちはイエス・キリストを信じる信仰によって、今現在もそして将来にわたっても、決して消えていくことのない資産(キリストにある永遠のいのち、本当の喜び)が与えられている。とは言え、それでもそこには厳然として悲しみも同居しているが<6>。