9月29日説教要旨 |
~先主日の礼拝メッセージ要旨~
宗教か信仰か <ヤコブ1:22~2:1>
牧師 鳥居完次
宗教と信仰は同じか。あなたは宗教しているのか、信仰しているのか。その違いは何か。その点に関して、聖書(「宗教」と訳されている言葉は新約に6箇所)は何と言っているのか。
1.宗教と信仰は本来その根は一つ(同じ)。「宗教」その本質的意味は、神と人との関係・交わりに関すること。その意味では、天地創造のとき、それは完全・完璧であった。しかし、人は罪故に本来あったすばらしい神との関係を失った。以来、失った神の真理といのちをひたすら求める「宗教」<使17:22>が全人類に広まった。その方向は、下から上(↑)。それ故、神は上から(↓)本物の「宗教」<使26:5>を回復させて下さった。救い主イエス・キリストという、神からの賜物によってである<1:17>。即ち、主イエス・キリストの十字架と復活の出来事を(信じることを)通して、まさに全世界すべての人が求めてやまない神の真理といのちに与る、本物の完全な道「宗教」がもたらされた<ヨハネ14:6>。この手紙の著者ヤコブは「行い」(「宗教」の実践面)を強調し、パウロは「信仰」(「宗教」の信仰面)を強調して、相対していると言われたりする。しかし、これほど一致していることはない。
2.完全な信仰は完全な宗教を確立・実現する(はず)。つまり、真に信仰が本物であるならば、当然そこには完全な律法(キリストの愛)の行いが現れるはずである。言い換えれば、真のキリストへの信仰者は、真のキリストの愛の実践者として、本来あったはずの完全な宗教者としての姿が現れるということである。この時代この地に生かされている私たち信仰者こそ、この世の必要とされる様々な援助活動のため、一生懸命励んでいきたい<1:27>。