8月25日説教要旨 |
~先主日礼拝メッセージ~
「収穫の主に祈る」
神学生 大橋 歩
マタイの福音書9章35節から38節は、この箇所より前までのイエス様のなさった宣教についてまとめられており、続く10章でイエス様が使徒たちを人々のもとに遣わす場面への伏線となっていて、前と後をつなぐ箇所になっている。
35節には、イエス様がどのように宣教なさったのかが書かれている。イエス様はすべての町や村を巡られた。そしてそのうえで、教え、宣べ伝え、癒された。イエス様はまず人々のところへと出向かれた。宣教は人々のもとへと出て行く必要があることがわかる。
続く36節には人々の様子をご覧になったイエス様がどのように思われたのかが書かれている。イエス様は、人々が困難からの救いを求めてはいても、本当の救い、罪からの救いを知らずさまよっている姿をご覧になって、人々のことを深くあわれまれた。イエス様は弱っている人、苦しんでいる人に寄り添ってくださるお方なのである。
そして人々を深くあわれまれたイエス様は弟子たちに仰った。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」と。「収穫」とは「救い」を意味している。救いは主のなさることである。この後、使徒たちはイエス様によって遣わされ、イエス様がなさったのと同じように人々へ宣教していくことになるが、その前に、イエス様はここで改めて、救いが主のみわざであることを教えたかったのだろう。そして、救いのみわざは主のものであると知るからこそ、主に信頼して、期待して祈ることができる。
私たちも、主に信頼し、期待して祈り続ける者になっていきたい。