8月11日説教要旨 |
~先主日の礼拝(早朝)メッセージ要旨~
神の安息は今どこに<ヘブル4:1~12>
牧師 鳥居 完次
本日は、平和を覚える礼拝。真の「平和」、それは真の「平安」、それこそが万人が手に入れたいと願い求めている真の「安息」である。その真の「神の安息」は、今どこにあるのか。
1.神の安息は創造のみわざが完成して以来、現在まで存続している。確かに、最初の人アダムには神の「いのちの息」が吹き込まれ、本来「神の安息」を心から味わうことができていた。しかし、人は自ら犯した罪ゆえにその「神の安息」を失い、その代わりに死の恐れと不安に支配されてしまう(境)地を招いてしまった。しかしながら神は、真のヨシュアである主イエスを、神からの救い主キリストとしてこの世に遣わしてくださった。そして、主の十字架と復活のみわざを通して、「神の安息」の(境)地に入る救いの道を与えてくださった。
2.神の安息は主イエス・キリストを信じる信仰によって、持つことができる。その意味では、ヨシュアの時代も今の時代も同じで、信仰によってのみ「神の安息の地」に入ることができるのである。とは言え、私たちはこの世にあっては苦難がある。即ち、今現実に私たちの吸う息は、「神の安息の息」と言うより、「世の悩み、苦しみの息」と言えるものかもしれない。しかし、がっかりする必要はない。信仰によって私たちの内に留まり(住んでいる)「神のことば」は生きておられるからである<12>。受肉された神のことばである主イエス・キリストが信じる者の心の中で生きて働き、私たちの内に入った「痛み、苦しみ、悲しみの息」を、まさに「神の安息(平安)の息」につくりかえて吐き出させて下さる。それが、主イエス・キリストが信じる私たちに与えてくれた「神の安息」である<ヨハネ14:27>。