7月29日説教要旨 |
~先主日の礼拝(早朝)メッセージ要旨~
御子が明かされた神の姿 <ヘブル1:1~3>
牧師 鳥居 完次
<ヘブル>は冒頭から本題に入っているようだ。「昔(旧約時代)」預言者たちを通して語られた神は、「この終わりの時(新約時代)」には、御子イエス・キリストによって語られた。
1.御子イエス・キリストは、旧約の預言者が指し示している対象である。確かに、キリストは神のことばを語るという意味では、預言者としての働きを担われた。しかし、御子キリストは預言者にまさる、いや、旧約の預言者たちが指し示していたお方そのものである。それ故、御子イエス・キリストは旧約のあらゆる預言者のように、「主のことば」とか「主は言われる」とは言われなかった。「わたしはあなたがたに言います」<マタイ5:22>と、自らにある神ご自身のことばであるご自分の権威に立って、はっきりと語られたのである。
2.御子イエス・キリストは、神のことばとして神ご自身を完全に啓示された。「御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れ」である<3a>。それにしても、「神の本質」とは何か。それこそ「神は愛」であり、その通り御子イエス・キリストのうちには、この神の満ち満ちた愛が形をとって宿っていると言える。そして、それが具体的にイエス・キリストの十字架と復活のみわざ(出来事)において示された(現された)のである<Ⅰヨハネ4:9~10>。その意味で、神の御子イエス・キリストが明かされた神の姿とは、「神は愛である」ということに他ならない。聖書は「神の愛(神は愛である)」で貫かれている。まさに聖書は「神からのラブレター」である。それ故に、私たちはこの聖書を通して神ご自身が語っておられる神の愛のことばに耳を傾けていきたい。そして、それに喜んで応答していきたい。