7月21日説教要旨 |
~先主日の礼拝メッセージ要旨~
神の家族として生きる <使徒の働き2章37~47節>
寒河江担当牧師 津嶋 理道
1.寒河江教会が大切にしてきたこと。 これまで寒河江教会は「神の家族として生きる」ことを大切にして来た。他に伝道方法がなかったためでもあるが、今では、それこそが最も自然で効果的で聖書的な伝道方法だと確信している。「神の家族である」とは聖書の教えに他ならず、使徒の働き2章には、そのように暮らした初代教会が皆から好意を持たれ、主も毎日救われる人々を加えてくださったとあるからだ。家族のシンボルは食卓であり、「パンを裂く」という営みにも、その意味が認められる。それゆえ寒河江教会でも、礼拝後の食事の交わりに拘ってきた。そのおかげで今は、神の家族の霊的空気が養われている。
2.家族とは、居場所が保障されている所。 では、家族であるとは、どんなことなのか? それは居場所が保障されていることだ。私たちの居場所とは、主イエスが十字架で勝ち取られ、神の国に用意してくださったものである。教会はその一員となった人に、漏れなくその居場所を約束するのである。たとえば寒河江教会でも、礼拝後の食事会で「子ども食堂」のような場を自然な形で提供することで、子どもにも高齢者にも、居場所を提供し続けてきた。
3.居場所は、コイノニアがあってこそ。 ただし、その居場所は自動的には与えられず、初代教会が営んだようなコイノニア(交わり、分かち合い)を通してこそ与えられるのだ。大きな試練を潜ったA姉は、そのようなコイノニアを通して、寒河江教会の中に真の居場所を見出した。今、A姉は、寒河江教会をますます「自分の神の家族」にするため励んでいる。私たちはこれからも、これまで以上に「神の家族として生きる」ことに拘り続けたい。