6月30日説教要旨 |
「主の思い」(マルコ5章21~34節)
牧師 紺野 真和
イエス様がカペナウムにいた時、会堂司ヤイロが走って来てひれ伏して死にかけている娘を直して欲しいと言った。イエス様はヤイロの家に向かった。群衆も一緒であった。その途中、12年間長血を患った一人の女性が癒しを求めてイエス様の衣にそっと触った。イエス様はその女性を探した。ヤイロの家に急いで行かなければならなかったのに、大勢でその人を見つけるのが困難であったのに、探し続けられた。それはこの女性に「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい。」(34)を伝えるためであった。
「娘よ」この言葉は会堂司ヤイロが「娘の上に手を置いてください。」と言った時の「娘」と同じである。この女性はこれまで人々から汚れた者と見られ、人々から避けられてきた。彼女は長い間孤独であった。イエス様はその女性に、「娘よ」との呼びかけで愛を伝えた。
「あなたの信仰があなたを救った。」この女性の信仰は、立派と呼ばれるには程遠かったであろう。彼女はイエス様の事はほとんど理解せずに、わらにもすがる思いでイエス様の衣を触った。また衣に触れれば直るというのは、魔術的な気もする。しかしイエス様は彼女の信仰を評価された。イエス様の評価を通して、彼女は自分の信仰を否定するのではなく、受け止めたであろう。その後の信仰生活でも、自分の信仰を肯定し成長して行っただろう。
「安心していきなさい。」この言葉は、平安があるようにという意味である。平安とは、問題がない事から来る平安ではなく、どんな状況でも神様が支えて下さる事から来る平安である。イエス様は、これから彼女が神様に支えられ、平安な生涯を送れるように祈られた。