5月12日説教要旨 |
いつもいつまでもともに <Ⅱテサロニケ3:6~16>
牧師 鳥居 完次
パウロはこれまでのことをまとめる意味を込め、最後に切なる訴え、願い、祈りのことばを記した<3:16>。ここに、キリストの福音がまさに平和の福音であることが示されている。
1.神と人との平和。本来、その関係は完全な平和であった。が、罪によって神と人とに亀裂(死の恐れ)が生じた。然るに、この壊れた関係の回復のため、神は救い主を送ってくださった。キリストの十字架と復活のみわざによって、神との平和を取り戻せる道を与えてくださった。主の復活後、弟子たちへの第一声は「平安があなたがたにあるように」である。
2.人と人との平和。本来、その関係も完全な平和であった。が、罪によって人と人との平和にも亀裂が生じてしまった。正直なところ、私たちにはどちらかというといつもいつまでも、ともにはいたくない相手がいる。しかし、それがたとえどんな人であっても、今や、そこに平和を作り出せる救い主イエス・キリストがおられる。事実、神の国は到来している。その意味で、パウロはその実現を必死にテサロニケ教会の中に祈り求めていたことがわかる<Ⅰテサ3:12~13>。すばらしいことに、私たちはテサロニケ教会の中にその解決、成長の跡を見ることができる。「兄弟たち。あなたがたについて、‥‥神に感謝しなければなりません。‥‥あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたすべての間で、一人ひとりの互いに対する愛が増し加わっているからです。」<Ⅱテサ1:3>。それ故に、パウロはその事実に重ねて、この手紙の最後に、「どうか、平和の神ご自身が、どんな時にも、どんな場合にも、あなたがたに平和を与えて下さいますように。」<3:16>と、切に訴えかけているのである。