4月21日説教要旨 |
~先主日礼拝(イースター)メッセージ~
「イエスの復活」(ルカ24章33節~52節)
牧師 紺野 真和
イエス様が十字架に架かられ、埋葬されてから三日目、弟子たちは次は自分たちが捕えられると思い、ある家に身を潜めていた。するとそこに復活されたイエス様が現われた。弟子たちは幽霊が出たと思った。イエス様は彼らに釘の跡のある手をさし伸ばして「わたしの手やわたしの足を見なさい」と言われた。弟子たちはまじまじと見たことであろう。その後、「わたしにさわって、よく見なさい」と言われた。ある弟子たちはイエス様の体をさわったのかもしれない。しかしそれでも弟子たちは信じられなかった。そこでイエス様は焼いた魚を彼らの目の前で食べられた。弟子たちはようやくイエス様の復活を信じた。この所から、イエス様がご自分の復活を、何とかして弟子たちに伝えようとしたことが分かる。どうしてここまでしたのか。それは復活が彼らの信仰の始まりになるからである。これまで弟子たちはイエス様から救い主の事を聞いて来たが理解できなかった。しかし復活を受け入れた彼らは、心開かれイエス様が救い主である事を受け入れた。旧約聖書に精通していたパウロはイエス様の復活に出会って、旧約聖書が本当に示している救い主を理解した。私たちも似ている。私たちも復活をご聖霊を通して受け止める時に、色々な事を知るようになる。なので、今日イエス様は聖書を通して何とかしてご自分が復活されたことを私たちに伝えようとしている。復活は、他の奇跡とは違う書き方がなされている。どう違うのか。聖書は復活の証拠を記している。一つはイエス様の埋葬された墓にイエス様の体がなかったことである。兵士、女たち、ヨハネ、ペテロがそのことを見た。もう一つは沢山の目撃者の存在である。聖書を通して私たちの信仰の土台となる復活を受け止めよう。