3月24日説教要旨 |
牧師 鳥居 完次
コロサイ書は、エペソ書、ピリピ書と同じくキリストと教会の関係で、「キリストが心を支配して下さる」姿が示されている<3:15>。でも、これが人間本来の姿。しかし、現実は、
1.サタンが心を支配している。サタン(悪魔)は、神の御使い(天使)が堕落した悪霊のかしらであり、エデンの園で人を誘惑した蛇の正体である。人はアダムを先頭に、このサタンに定められている死とさばきと同じ運命共同体の輪に、自らの意志で入ってしまった。然るに、この暗闇の力から救い出してくださるために、御子イエス・キリストが十字架の贖いを成し遂げてくださった<1:13~14>。即ち、罪の奴隷の身から解放されるに必要な代価を、完全に支払って下さったのである<2:13~14>。ここに、神との平和の道が与えられた。
2.キリストの平和が心を支配して下さる、世界が与えられた。その意味で、キリストは悪の武装を解除してくださった<2:15>。とは言え、悪魔の残党が最後の仕事に励んでいることも確かだ<Ⅰペテロ5:8>が、同時に今や、キリストの旗印の下に憩うことができる平和の世界が用意されている。それ故に、今こそ私たちの心がキリストの平和の世界に支配されるようにと、神の切なる願いが求められている<3:15>。それは、キリストご自身の力が心を支配する世界であり、それこそがキリストのからだとしての教会の姿そのものである。そこで、具体的に強調されている大切なメッセージは、何よりも①みことばの力<3:16>と、②祈りの力<3:17>に頼る(頼り切る)ことである。頼れば頼るほど、キリストの力が発揮されるからである。それによって、キリストご自身に栄光を帰し、主を賛美していきたい。