2月24日説教要旨 |
牧師 鳥居 完次
パウロは、福音の奥義(世界的スケール<3:5~6>)を持つ「キリストのからだなる教会」<1:23>を説いた。が、何よりも、そのからだの成長の豊かさ、神秘さを解き明かしている。
1.キリストに向かって成長する<4:15>。かしらであるキリストの超越性に(その中へ)向かっての成長である。その中身の豊かさ、特にその多様性は際立っている。「私たちは一人ひとり、キリストの賜物の量りにしたがって恵みが与えられ」ている<7>。成長は、誰もが皆違っている、ということである。しかも、その違いは単に他の人との横並びにおける色合いの違いだけでなく、本人の時系列における微妙な色調の違いをも含んでいる<23>。
2.キリストによって成長する<4:16>。実は、その本人(複数が教会)の時系列における違いが成長を意味する。その仕組みの神秘さには、目を見張るものがある。即ち、それがキリストにあって新しく造られたいのちによる(その中からの)成長である。具体的には、古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着ることである<22~24>。まさに、霊的な脱皮現象である。しかも、その脱皮は絶えず何度も繰り返し起こり続けるものである<23>。現代は、一見いとも簡単に成長・変化できる(ように錯覚させられる)時代。キリストの生き方に刺激され(模範とし)て、しかも豊富な情報によって得られる聖書のみことばを、単に自分の生活の糧に利用することさえできる。しかしそれは、結局は依然として肉の自分(自我)の力による変化・成長に過ぎない。そんな空しい生き方ではなく、復活のキリストのいのちの力によって(その中から)成長させていただく真の成長・変化を、地道に追い求め続けていきたい。