12月2日説教要約 |
「喜ぶこと」(ルカ1章5節~25節)
牧師 紺野 真和
ユダの山地にザカリヤとエリサベツ夫婦が住んでいた。ザカリヤは祭司であり、エリサベツも祭司の家庭で育った。そのザカリヤ夫婦は喜びに満たされた。
1、香をたく恵みにあずかる喜び。祭司の働きでもっとも素晴らしい働きは香をたくことであった。なぜなら、それは祭司が一生に一度あずかれるかどうかの働きであり、神様が御臨在される至聖所の隣の聖所で行う働きであり、イスラエルを代表して祈りをささげる働きであったからである。ザカリヤはその恵みにあずかった。
2、子供が与えられる喜び。ザカリヤ夫婦は長い間子供が与えられることを祈り求めていたが与えられなかった。そしてもう年を取っていたので諦めていた。そのザカリヤに神様は子供を与えると言われた。ザカリヤ夫婦は子供が与えられるという恵みにあずかった。
3、救い主が来られる喜び。ザカリヤは御使いのことばを通して、ついにイスラエルの民が長い歴史の中で待ち望んでいた救い主が来られるという知らせを聞いた。ザカリヤはこの知らせを聞いてどんなに喜んだことであろう。
クリスマスは神様が私たちに御子をプレゼントしてくださった日である。この日神様は私たちに何を望んでおられるのか。奉仕する事か、伝道する事か、感謝する事か。それらは大切な事に違いないが、神様が私たちに最も望んでおられることではない。親は子供にプレゼントする時、親の言うことを聞かせるために、老後の面倒を見てもらうためにするのではない。親はただ喜んで欲しいと願い子供にプレゼントする。神様も私たちが喜ぶことを願っておられる。私たちが喜びに満たされることから、礼拝、伝道、奉仕が始まる。