10月7日説教要旨 |
「福音のために」(使徒21章17節~40節)
牧師 紺野 真和
パウロ一行がエルサレムに着いた時、多くの信者が喜んだ。しかし、ユダヤ教に熱心な信徒の中に、パウロに関する間違った情報が伝わっていた。それはパウロが律法に背くことを教えているということである。パウロは異邦人の信者には、エルサレム会議で決められた律法の内でこれだけを守るようにと教えていたが、ユダヤ人信者が律法を守ることを尊重していた。そこで教会の長老たちはパウロに誓願を立てている人たちを宮に連れて行き、一緒に身を清め、彼らの費用を出すことを提案した。パウロはこの提案に従わなくても良かったが彼は従った。それはユダヤ人信者たちが躓かないため、また救われていないユダヤ人が救いに入るためである。パウロは、何人かでも救うために、自分の自由を放棄して、律法の下にある者には、律法の下にある者のように、律法を持たない人には、律法を持たない者のようになった。パウロは譲れないことを持っていたが、その他の点では人々の救いのために非常に柔軟であった。
長老たちの提案に従ったパウロであったが、アジアから来たユダヤ人たちがパウロが宮を汚すことをしていると人々に言った。そのため人々はパウロを殺そうとした。その時神様は千人隊長を通してパウロを救い出した。それはパウロを愛する故であると共に、パウロを用いて人々に福音を伝えるためであった。私たちもパウロと同じように窮地から救われる時がある。何よりも滅びから救われた。神様は私たちを愛する故にそして私たちを用いてご自身のみこころを行うためにそのようにされる。人々の救いのために、どのように生きたらよいのか考えよう。