9月30日説教要約 |
「パウロが大切にしていたこと」(使徒20章36節~21章16節)
牧師 紺野 真和
パウロはエルサレムで苦しみを受けることを御霊に示されていたが、エルサレムに向かった。パウロはどのような思いであったのか。13節に「心くじいたりして」という言葉がある。この言葉からパウロはエルサレムに行くことは神様の御心であると知っていたが、全く心揺れ動かなかったのではなく心揺さぶられたのであろう。エルサレムに行かないようにと語る仲間の愛の言葉の故に、またエルサレムで受ける苦しみの故に、更にクリスチャンたちと離れ離れにならければならない悲しみの故に心揺さぶられたのであろう。しかしパウロはエルサレムに行くことを選んだ。それは何よりもパウロがイエス様を愛していたからである。
パウロがエルサレムに行く目的は何だったのだろうか。パウロは異邦人教会の献金をエルサレムの貧しいクリスチャンたちに届けるためにエルサレムに向かったのである。それはエルサレム教会と異邦人教会が愛の交わりを持つようになるためである。パウロのことを孤高の人と考えている人がいるかもしれないが、パウロはクリスチャンたちとの交わりを大切にし、交わりの中に生きた人である。どうしてクリスチャンにとって交わりが大切なのか。それはイエス様が愛の交わりを持つために十字架で死んでくださったからである。私たちは神様に似せて造られた。神様は三位一体の愛の交わりを持たれるお方である。救われるということは本来の人間性を取り戻すということである。また愛の交わりを持つことはイエス様の祈りだからである(ヨハネ17章参照)。更に愛の交わりが福音宣教につながるからである(使徒2章46,47節参照)。私たちも愛の交わりを大切にしよう。