9月9日説教要約 |
イエスは王の王、主の主<マタイ2:1~12>
牧師 鳥居 完次
敬老の精神は、実に聖書的である<レビ19:32>。しかし、そこには「王の王、主の主」である主イエス・キリストを、真に神として恐れ敬うことが重ねられていることがわかる。
1.「主イエスは王の王」。とは言え、主イエスは地上の国の王ではなく、全世界(宇宙)の王である。確かに、御子は天地すべての造り主として<コロ1:16>、すべてのものを御手の中に統治しておられる。しかし、現実の世界は一見、悪(サタン)が支配しているように見える。しかし乍ら、主イエス・キリストの誕生によって事態は一変したことも事実。即ち、歴史の中に神ご自身が介入され、見える形で天の御国の統治が始まったということである。
2.「主イエスは主の主」。これは、主イエスの宣教活動の結果宣言であり、本書でマタイが記しているように、主イエスはその行く先々で驚くばかりの奇跡(足なえ・盲人のいやし、死人が生き返る)をされた。これこそ、天の御国の支配がこの世に、見える形で入って来たしるし。しかし、これは前ぶれであって、その決定的しるしはまさに主イエス・キリストの十字架と復活である。即ち、主イエスの十字架と復活のみわざこそ、私たち人間の最後の敵である死(罪)に対する勝利のしるしなのである。その意味で、マタイの福音書は天の御国の王からの恵みの祝宴への招待状と言える<マタイ22:1~14>。東の方からの博士たちは、その恵みの祝宴を先取りし、王に拝謁した第一号<マタイ2;1~12>。私たちも、博士たちと同じように精一杯のささげものをもって、天の御国の王の王、主の主である主イエス・キリストを心から崇め、敬い、拝する真の礼拝の民でありたい(そうなっていく者でありたい)。