9月2日説教要約 |
「パウロの宣教の動機」(使徒20章13~35節)
牧師 紺野 真和
この箇所は、使徒の働きに出て来るパウロの説教の中で唯一クリスチャンに向けられたものである。この箇所からパウロの宣教の動機を見ていく。
1、パウロは、「ユダヤ人の陰謀によってこの身に降りかかる数々の試練の中で主に仕えた」(19)。数々の試練とはどのようなものかと言うと、第二コリント1章8,9節を見ると生きる希望を失うほどの試練、死刑の宣告を受けたと思えるほどの試練であった。すなわち肉体の死を意識するほどの試練であった。そのような状況にあったなら普通なら語るのをやめてしまいそうであるが、パウロは「福音を証しする任務が全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません」(24)と言った。なぜか。それはパウロは肉体のいのちよりも永遠のいのちが大切であったからである。永遠のいのちとは、三位一体の神様との交わりである。交わりとは、神様の愛を受け止め、神様の喜ばれることをすることである。パウロにとってそれが何よりも大切なものであったので、福音を宣べ伝えた。私たちの大切なものは何か。
2、パウロはエペソの長老たちに「あなたがたに福音を伝えたので私には血の責任がない」と言った。エゼキエル書3章28節に「悪者に悪の道から離れて生きるように警告しないなら、彼の血の責任をあなたに問う。もし悪者に悪の道から離れて生きるように警告するなら、あなたは自分のいのちを救う」とある。もし私たちが福音を伝えないなら、神様は私たちにその責任を問われ、福音を伝えるなら私たちは責任を果たすということである。神様は、私たちを信頼し、福音を語る責任を委ねている。興味深いことに神様は人を救う責任を私たちに与えてはいない。神様から語る責任を委ねられていることを覚え、宣教に当たろう。