6月17日説教要旨 |
「アブラハムの祈り」(創世記18章16~33節)
牧師 紺野 真和
アブラハムは神様がソドムとゴモラを滅ぼすためにやってきた時に真剣に祈った。
1、祈りの動機。アブラハムの祈りの動機は何だったか。第一にロトの存在であった。アブラハムはロトを自分の子供のように愛していた。そのロトも裁かれてしまうと知った時、真剣に祈った。第二にアブラハムの信念と神様の行動の違いであった。アブラハムは神様に「正しい者と悪い者をいっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行うべきではありませんか。」(25)。アブラハムは、神様がしようとしていることは、「神様の御性質にそぐわないのではないですか。」と言った。アブラハムは自分の信仰と神様がなさろうとしていることが違っているので、率直に大胆に祈った。決してアブラハムは高慢になっていたわけではない、へりくだっていた。
2、祈りによってもたらされたもの。アブラハムの真剣なとりなしの祈りを通してロトは救出された。また、アブラハムは神様のあわれみ深さを知った。アブラハムが神様に「その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。」と祈った時、主は「滅ぼすまい」と答えられた。その後、アブラハムは町にいる正しい人の存在を、四十五人、四十人、三十人、二十人、十人と減らして祈った。その度に主は「滅ぼすまい」と答えられた。この事を通してアブラハムは、主のあわれみ深さを知って行った。
私たちは、アブラハムのように真剣に神様と向き合う必要がある。その時、私たちは、神様の御業と神様がどのようなお方かを知るようになる。