5月27日メッセージ要旨 |
主の愛は喜びをもたらす<ゼパニヤ書3:1~17>
牧師 鳥居 完次
ゼパニヤ書の視点は、実に根源的な前提から出発している。即ち、神の愛がもたらす「真の喜び」である。これこそ、本来天地創造時「エデン(歓喜)の園」に与えられていた喜びである。しかし、人の罪(神から離れた)によって死が入り「真の喜び」を失ってしまった。
1.神のさばき。人は、罪故に永遠のいのちではなく、永遠のさばき(滅び)を招いた<ヘブル9:27>。しかも、そのとばっちりを全被造物が受けた<ゼパ1:2~3>。それにしても、この「わたし」とは新約に光を当てると、さばき主イエス・キリストである(隠されている)ことがわかる<ヨハネ5:22、27>。故に、<ゼパ3:8>の預言こそ、主イエス・キリストによる「最後のさばき」の宣告である。しかし、同時に本書には、このまことに恐ろしい「最後のさばきの日」がまだ来ないうちに、神の救いの預言が先取りされている<ゼパ2:1~3>。
2.神の救い。ここに、主イエス・キリストの十字架と復活による罪からの救いのみわざが隠されている(ゼパニヤの意味は「神は隠される」)。言い換えると、神の一方的な愛が先行して(前倒しされて)いる、ということである<ヨハネ3:16~17>。それ故に、今や主の愛は、救い主イエス・キリストの十字架と復活のみわざを通して、私たちに真の喜び(平安)をもたらして(取り戻させて)くださった。それこそが、<ゼパ3:17>でゼパニヤが預言していることの成就である。その意味で、いつの日か必ず来る「さばき主イエス・キリスト」の最後のさばきから確実に救い出してくださる「救いの勇士」こそ、「救い主イエス・キリスト」である。この主を心の中に迎え入れることによって、真に主を喜ばせる者となりたい。