5月13日メッセージ要旨 |
義人は信仰によって生きる<ハバクク書2:1~4>
牧師 鳥居 完次
ハバククは、エレミヤと同時代の預言者である。が、本書は他の預言書と違う。民の罪のさばきと救いの託宣ではなく、ハバクク自身が神へ投げつけた訴え・叫びのやり取りである。
1.ハバククの訴え・叫びと、その答え。冒頭からハバククの訴え・叫びが炸裂している<1:2~3>。即ち、神はいつまで罪を放置されるつもりなのか、という問いである。答えは、「義人は信仰によって生きる」<2:4>との提示である。これこそ、聖書の中心主張。まさに聖書全体は、「義人は信仰によって生きる」人たちの列伝である。そのまとめが<ヘブル11章>であり、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」<同12:2>がその結論であることがわかる。では「イエスが信仰の完成者」――その意味は?
2.主イエスの訴え・叫びと、その答え。「信仰がためされると忍耐が生じる」<ヤコブ1:3>とあるが、実際のキリストの忍耐はキリストの十字架上の訴え・叫びから類推できる。「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」<マタイ27:46>――その意味は、「どうしてわたしをこれほど長く放っておかれるのですか」ととれる。これは、冒頭のハバククの叫び「あなたはいつまで聞いてくださらないのですか」と表面的には同じ。だが、中身はまるで違う。キリストの十字架の叫びは、ハバククで代表される私たち罪人の自分勝手な叫びをすべて受け止めた上での叫びであり、その先に喜びが見えるとでもいえる信仰をもって耐え忍ばれたのである。ここに、本書最後の<3:16~19>を心からの納得をもって共有できる根拠がある。ハバククと共に、主にある救いの喜びを心から賛美していこう。