4月1日メッセージ要旨 |
「主の復活」(ヨハネ20章19~29節)
牧師 紺野 真和
トマスの目と心を通してイエス様の復活を見て行く。トマスは12弟子の一人でイエス様から深く愛されていた。またトマスもイエス様を深く愛していた。そのことは、イエス様がいのちの危険にさらされ、いったんユダヤを離れたが、再びユダヤに行こうとされた時、「私たちも行って、主といっしょに死のうではないか」と言った言葉から分かる。トマスが深く愛していたイエス様が十字架に架かられ死なれた。どんなに彼は悲しんだことだろう。その三日後イエス様は弟子たちに復活されたご自分を現された。その時トマスだけが居合わせなかった。弟子たちはトマスにイエス様の復活のことを話したが、トマスは信じられなかった。イエス様の復活が事実であるならどんなにうれしいかと思ったであろうが、彼は見なければ信じられないと言った。彼は自分の心に正直であった。その一週間後、トマスを含む弟子たちにイエス様はもう一度現れた。その時、彼は心から「私の主、私の神」と告白することができた。私たちはトマスのように自分の目でイエス様を見ることはできないが、トマスを通してイエス様が復活されたことを受け止めることができる。それでは、復活は私たちに何をもたらしたのか。それは平安である。どのような平安か。第一にイエス様が共にいてくださる所からくる平安である。私たちはこの地上にあっていろいろな苦しみに遭遇する。人間関係からくる苦しみ、肉体上の苦しみなど様々ある。しかしどんな時でもイエス様が共にいてくださる。これ以上の平安はない。第二に死後天国へ入れるという平安である。私たちは自らの罪の故に永遠の滅びに定められていたが、イエス様の贖いによって罪赦された。その結果、死後天国に入れる希望が与えられた。そこに平安がある。