2017年 09月 21日
7月2日説教要約 |
「イエスに出会ったトマス」(ヨハネ20章19~29節)
牧師 紺野 真和
イエス様が十字架に架けられ死なれた時、弟子たちは、次は自分が殺されると思いある家に隠れていた。そこに夕方復活されたイエス様が現われて下さった。しかしその場に弟子の一人のトマスがいなかった。弟子たちは、トマスに「自分たちはイエス様に会った」と言った。しかしトマスは信じなかった。彼の人となりはこの福音書に出て来るが、情熱的にイエス様を愛する人であったが、自分が受け止められないことは受け止められないとする正直な人であった。ここで興味深いことがある。それはこのトマスが弟子たちの群れに留まり続けることができたという事である。もし他の弟子たちがトマスに、私たちの言うことを信じられないなら弟子としてふさわしくないと言ったら、あるいはどんどんイエス様の復活を説得したらトマスはそこにいられないか、自分を押し殺してしまったであろう。しかしトマスは弾き飛ばされずに、押し殺さずに、そのままで弟子たちの群れに留まり続けることができた。なぜか。それは弟子たちがトマスの気持ちを受け止めることができたからであろう。弟子たち自身その日の朝、マグダラのマリヤがイエス様に出会い、弟子たちに伝えた時信じることができなかった。弟子たちはトマスの気持ちに「お前の気持ちがよくわかる」と共感することができたのであろう。だからトマスはその場にとどまることができたのであろう。教会はありのままでいることができる所である必要がある。疲れている人が疲れているままで、霊的にダウンしている人がダウンしたままでいることができる場所である。しかし、律法主義、完璧主義が支配するとすぐそのような場所でなくなってしまう。ありのままで存在する時に、イエス様はトマスに出会われたように、私たちに出会ってくださる。
by ybible63
| 2017-09-21 15:36
| ★礼拝説教要約