2017年 09月 21日
6月25日説教要約 |
「ブドウ園の労務者の譬」(マタイ20章1~16)
牧師 紺野 真和
パレスチナではブドウ園の主人は労務者を雇い収穫をしていた。イエス様はそのことを通して一つの譬話をした。ある主人が午前6時に市場に行き、労務者を雇った。その次に午前9時、12時、午後3時、午後5時に労務者を雇った。労働時間は午前6時から午後6時までであった。主人は午後5時に雇った人から賃金を払った。その賃金は労働者の一日分の日当である1デナリであった。朝から働いていた人はそれを見て自分たちは、もっとたくさんの物をもらえると思った。しかし1デナリであったので、主人に文句を言った。この譬話は何を私たちに教えているのか。それは、救いは神様の一方的な恵みであるという事である。決して救いは労働の対価のようなものではない。これだけの良い業をしたから救いに与れるというものではない。しかし、当時のパリサイ人、律法学者はそのような考え方をしていた。自分たちは神様に熱心であるから、永遠のいのちに与れると。しかし、イエス様は彼らのそのような考え方を打ち壊した。ところで、私たちは救いは神様の一方的な恵みであることを受け止めているだろう。しかし、一歩進んで、その恵みによって私たちは生きているだろうか。その恵みに感動して、私たちは礼拝をし、奉仕をし、社会に仕えているだろうか。救いの恵みは恵みとして受け止めているが、それが私たちの生きる原動力になってはいないのではないか。どうしてか、初心を忘れてしまったのか。確かに、私たちは救われた時のことを思い出す必要があるだろう。しかし、それ以上に、私たちは、まだまだ、恵みの素晴らしさを知っていないのではないか。ペテロはこう言った。「私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。」(Ⅱペテロ3章18節)。成長しよう。
by ybible63
| 2017-09-21 15:34
| ★礼拝説教要約