6月4日説教要約 |
「遣わされる者と、遣わす者」(使徒14章19~28節、ローマ10章13~15節)
寒河江担当牧師 津嶋 理道
パウロとアンテオケ教会と同じように、寒河江教会と東原教会の間にも「遣わされる者と、遣わす者」の関係があります。寒河江教会は20年ほど前に東原教会から遣わされて始まりました。私も今回、当時の資料を通して改めて、東原教会の皆様の献身的なお祈りと捧げ物によって、今の寒河江教会があることを思い知りました。それゆえ寒河江教会は、そのことを心に刻む必要があります。また、東原教会も、自分たちが寒河江教会を遣わしているという事実を再自覚する必要があると思います。なぜなら、両方の働きがあってこそ、「主の御名を呼ぶ者は、だれでも救われる」という恵みが実現するからなのです。
ですが、「遣わし、遣わされる」とは、具体的には、どのようなことなのでしょうか?一つには、単に送り出されるだけでなく、その後も様々な面で支援されることを意味します。そして、もう一つの大切なことは、「遣わす者」と「遣わされる者」は一つなのだという理解です。「遣わされる者」は「遣わす者」の使者であり、「遣わす者」は「遣わされる者」と一緒に働く者であるからです。東原教会は、「寒河江に何としてでも教会を存続させることを、主からの使命としているか」が問われています。一方で寒河江教会は、「その使命に、東原の皆様の祈りを背負って立ち続ける覚悟」が問われているのです。ただ、その責任をお互いがしっかり果たしていくためには、「遣わされる者と、遣わす者」の間に緊密な分かち合いの交わりが保たれていることが肝心です。パウロとアンテオケ教会が営んだ交わりは、その麗しい模範でありました。私たちも、「遣わし、遣わされる関係」を卒業する日まで、そのようにして共に働かせていただきたいと願っています。