5月28日説教要約 |
牧師 紺野 真和
種まきのたとえから、私たちが実を結ぶ心の状態を見ていく。
1、道ばた。道ばたに落ちた種は、鳥が来て食べてしまった。道ばたの心の状態とはどのようなものか。神様を求める心のない状態である。神様への飢え渇きのない人は、サタンが蒔かれたみ言葉を取り去ってしまう。
2、岩地。岩地に落ちた種は、根がないために、日が昇ったときすぐ枯れてしまった。岩地の心の状態とはどのようなものか。神様にある程度までは従うが、これ以上は従うことはできませんと、神様に立ち入り禁止の立札を持っている状態である。表面的には柔らかいが、内は固い自我の人である。その人は困難や迫害があるとつまずいてしまう。
3、いばら。いばらの中に落ちた種は、いばらが伸びて、ふさいでしまい実を結ぶことがなかった。いばらの心の状態とはどのようなものか。様々なこの世の欲望で心の満たされている状態である。神の国とその義とを第一にしない人である。その人は、いろいろな欲望が入り込むので、みことばをふさぎ実を結ぶことはない。
4、良い地。良い地に落ちた種は、実を結び三十倍、六十倍、百倍になった。良い地とはどのような心の状態か。神様に対する飢え渇きのある人、徹底して神様の前に従順な人、神様を第一にする人である。その人は豊かな実を結ぶ。
それでは神様が結んでくださる実とは何か。「愛、喜び、平安、寛容、親切、誠実、柔和、善意、誠実、自制」の御霊の実である。現在、私たちの心はどのような状態であるだろうか?自分自身の心の状態を吟味してみよう。