5月28日説教要約 |
<ローマ16:3~10>
キリストにあって練達する牧師 鳥居 完次
「キリストにあって練達したアペレによろしく」<10a>に注目する。それに関連している<ローマ5:1~5>から、「練達」即ち「練られた品性」に至る過程が浮かび上がってくる。
1.練達(練られた品性)に至るための主導権はキリストにある。即ち、神との平和を与えて下さるために、神ご自身の方から平和の神・キリストがこの世に遣わされた。その延長線上に、「キリストにあって練達(練られた品性)」に至る道が差し出されたのである。故に、
2.練達(練られた品性)をもたらす原動力もキリストにあって生み出されたものである。
「練達」とは、「本物であることの証明、確証を得る」という意味であるが、それが本物であると誰がどのようにわかるのか。少なくともアペレが「キリストにあって練達した(できた)者」とするなら、それは何よりもアペレ自身が、「確かにこれは自分の力ではなくキリストの力によってなされた」ことを自覚できていたことになる。そして、実はこのことは、その事実を鑑定したパウロ自身の内にも同じように起こっていたに違いない。言わば、パウロはこのときアペレのうちに自らの体験を重ねて見ることができていたということである。それ故に、パウロはアペレに対して「キリストにあって練達したアペレ」と紹介しているのであろう。アペレの霊的成長のために、パウロはどれほどの助言や励まし暖かい援助の手を差し伸べたことか。しかし、それがどれほどの貢献であったとしても、たいせつなのは「成長させてくださる(さった)神(キリスト)」なのである<Ⅰコリ3:6>。それ故に、私たちもお互いをして「キリストにあって練達した者」と紹介し、紹介される者となっていきたい。