2017年 04月 05日
4月2日説教要約 |
祝福からのろいを招いたのは誰<Ⅱ列王17:6~23>
牧師 鳥居 完次
<Ⅱ列>の内容は<Ⅰ列>の続き。王国が南と北に分裂した(してしまった)後の歴史である。それぞれ、新しい王が誕生する。が、ついに北も南も滅ぼされ、捕囚の憂き目にあった。
1.祝福からのろいを招いたのはイスラエル(ユダ)の罪<17:6~8、19>。 それにしても、北イスラエルと南ユダ王国が、それぞれアッシリヤとバビロン帝国に滅ぼされ、捕囚の「のろい」を招いてしまったのは、王の責任である。その点、北の王たちは「ひどい」の一言に尽きる。それに比べ、南はだいぶ「善い」。しかし、北も南も程度の差こそあれ、結局は「同じ穴のむじな」。即ち、人はすべてその罪故に神の前に「のろい」を招いたのである。
2.のろいの結末から見える救いの希望<25:27~30>。のろい(滅びと捕囚)の極みに陥ったユダの王エホヤキンが、なんと考えられないほどの祝福を受けた。この祝福の発進主こそ、救い主イエス・キリストが指し示されていると言える。確かにその通り、ダビデの家系からまことの王の王、主の主イエス・キリストがこの世に来られ、私たち罪人が受けるべきのろいを十字架の上で引き受けてくださった<ガラ3:13>。罪の滅びの家から釈放し、あふれるばかりの豊かな生活に招き入れてくださった。そして、この一方的な愛のみわざを単純に受け止める者に、祝福が約束されている。が、単純に信じることがこれほど難しいものはない。これこそ、エリシャのことばを単純に信じていやされたナアマン将軍の記事に重なる<Ⅱ列5章>。その意味で、今や私たちもまた、十字架のことば(福音)に単純に応答することによって罪ののろいから解放され、豊かな祝福に与ることができたことを感謝したい。
by ybible63
| 2017-04-05 10:04
| ★礼拝説教要約