1月22日説教要約 |
「喜びをもって捧げることを通して」(使徒4章32節~5章11節)
牧師 紺野 真和
初代教会は何事もなく成長して行ったのかというとそうではない。外からの攻撃(迫害)と内側からの問題があった。この箇所は最初に起こった内側の問題である。初代教会の特徴は地所や家のある者はそれを売り、貧しい人々に分け、全てを共有していたという事にある。その中でアナニヤとサッピラ夫婦は問題のある捧げ方をした。
1、惜しみながらの捧げ物であった。彼らは財産の一部を残しておいて捧げたにもかかわらず、これが全てですとペテロに言った。彼らは、喜んで捧げたのではなく、惜しみつつ捧げた。どうしてか。彼らは神様から与えられる恵みと愛に満たされていなかったからである。
2、名声を求めての捧げ物であった。彼らは、全部捧げましたと嘘をついてまでも、人々からの名声を求めた。イエス様は山上の説教の中で「人に見せるために人前で善行をしないように気を付けなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から、報いが受けられません」と話された。しかしアナニヤ夫婦の捧げ物は違っていた。
3、財産は自分の所有物であるという意識の捧げ物であった。32節に「だれひとりその持ち物を自分のものとは言わず」とある。初代教会のクリスチャン達は、自分に与えられたすべてのものは、神様から委ねられているものであるという意識があった。しかし、彼らにはその意識がなかった。
ところで初代教会の人々は何のために捧げたのか。それはクリスチャンたちがすべてを共有にするためであった。今日、私達はどのような捧げものを、そしてどのような教会の交わりが求められているだろうか。一人一人祈り求めつつ、示されたことを実行して行こう。