1月1日説教要約 |
「成長を求めて」(ヨハネ5章1節~9節)
牧師 紺野 真和
ベテスダの池に38年もの長い間、伏せっている人がいた。イエス様は彼を見ると「良くなりたいか」と尋ねられた。この問いは彼にとってとても重要な問いであった。最初、この人は癒しの池として知られるこの池に癒しを求めてやって来て、いろいろ努力したであろう。しかし、何度挑戦しても駄目であった。その中で、彼の中に良くなりたいという思いが薄れて行き、今では、ただこの池に運ばれてきて、漠然と一日を過ごし、又家に運ばれるという繰り返しの生活を送っていた。この人にとって必要な事は「良くなりたい」という飢え乾きを持つことであった。同様に私たちが成長していくためには、成長したいという飢え乾きを持つことが必要である。それでは飢え乾きを持つためには何が必要なのか。自分が霊的に病んでいるという事をしっかりと受け止める事である。そのために私たちは時間を取ってじっくりと自分の信仰生活を振り返ってみる必要がある。私達の心の奥底は神様の愛で満たされているだろうか。私達には、神様が共にいてくださるという平安があるだろうか。また私達は新しくされた者であるが、依然として古い性質が残っている故に、整えられて行かなければならない人格的なところがある。私達は、神様のみこころを求めていく意志をもっているか、それとも自分の肉を満たしたいという意志が優先しているか。私達は、自分の感情を知り、管理することができるか、それとも、自分の感情に振り回されているのか。私達の行動の動機は、神様を喜ばせたいという所から出てきているのか、それとも自分が評価されることを求めているのか、律法主義的にしなければならないからという思いから出ているのか。
この年も、主にあって成長を求めて行き、御霊の働きによって成長させていただこう。