2016年 12月 15日
11月27日 |
あなたの労苦には報いがある<エレミヤ31:1~22>
牧師 鳥居 完次
アドベント第1主日。<エレミヤ31章>に注目したい。エレミヤは「涙の預言者」と言われる。しかし、主はその「泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ」という。その理由は何か。
1.あなたの労苦には報いがある(将来には望みがある)から<16、17>。それは確かに、主イエス・キリストの誕生によって実現した。即ち、<15>の預言はイエス誕生時のヘロデの残虐行為に重なり<マタイ2:18>、まさにこの世の悪(バビロン)からの解放の道が、主イエスの到来によってもたらされたことがわかる。同時にそれは、主の十字架と復活によってもたらされた死からの勝利の道である。ここに、まことの福音がある。しかし、このキリストの福音に対する人々の反応は、ますます「笛吹けど踊らず」の時代性を感じる。しかし、
2.主ご自身がエフライム(イスラエル;すべての人の代表)をあわれまれる思いが先行している<20>。主は、はらわた(内臓)がわななく(ふるえる)ほどに、私たち一人一人をあわれまれる(かわいそうに思われる)。これが「愛」であり、それが主ご自身の方から先行的に具現化されたのがクリスマスである。とは言え、今や「クリスマス」は完全に世の商業ベースに乗らされている。クリスマスの装飾、プレゼント(教会学校)など、年々その魅力が低下しているようだ。「一体この頑張りにどれほどの意味があるのか」と、つい弱音を吐きたくなる。しかし、この時こそ主のあわれみ(愛)の宣教に励むべきである。主ご自身のはらわたのわななきが、伝わってくるからである(固有振動数が同じだと自動的に震える)。それ故に、このアドベントのとき、静かに静かに主の御降誕の意味を再確認していきたい。
牧師 鳥居 完次
アドベント第1主日。<エレミヤ31章>に注目したい。エレミヤは「涙の預言者」と言われる。しかし、主はその「泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ」という。その理由は何か。
1.あなたの労苦には報いがある(将来には望みがある)から<16、17>。それは確かに、主イエス・キリストの誕生によって実現した。即ち、<15>の預言はイエス誕生時のヘロデの残虐行為に重なり<マタイ2:18>、まさにこの世の悪(バビロン)からの解放の道が、主イエスの到来によってもたらされたことがわかる。同時にそれは、主の十字架と復活によってもたらされた死からの勝利の道である。ここに、まことの福音がある。しかし、このキリストの福音に対する人々の反応は、ますます「笛吹けど踊らず」の時代性を感じる。しかし、
2.主ご自身がエフライム(イスラエル;すべての人の代表)をあわれまれる思いが先行している<20>。主は、はらわた(内臓)がわななく(ふるえる)ほどに、私たち一人一人をあわれまれる(かわいそうに思われる)。これが「愛」であり、それが主ご自身の方から先行的に具現化されたのがクリスマスである。とは言え、今や「クリスマス」は完全に世の商業ベースに乗らされている。クリスマスの装飾、プレゼント(教会学校)など、年々その魅力が低下しているようだ。「一体この頑張りにどれほどの意味があるのか」と、つい弱音を吐きたくなる。しかし、この時こそ主のあわれみ(愛)の宣教に励むべきである。主ご自身のはらわたのわななきが、伝わってくるからである(固有振動数が同じだと自動的に震える)。それ故に、このアドベントのとき、静かに静かに主の御降誕の意味を再確認していきたい。
by ybible63
| 2016-12-15 15:01
| ★礼拝説教要約