2016年 12月 15日
11月20日 |
「親と子の責任」(エペソ6章1~4節)
牧師 紺野 真和
この箇所には、最初に子供の責任が記されている。子供も大人と一緒に礼拝に出ていたのであろう。その子供たちに「主にあって、両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」と記されている。従うと言っても、奴隷が主人に従うように、仕方がないから従うというのではない。尊敬と愛の心をもって従うのである。なぜ従うのか、それは神様が正しいと認められること、神様が喜ばれることだからである。そしてこの命令を守る子供たちに約束が与えられている。「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。なぜ、そうなるのか。第一に親は生きていくのに大切な事を子供たちに教えて行くからである。第二に、家庭は社会の基本単位である。子供が親に従うなら、家庭が安定し、強いては社会が安定するからである。第三に、親は神様の代理として立てられている。子供は親を通して神様がどのような方かを学ぶ。その結果、神様を知り霊的祝福に与るからである。
次に親の責任が記されている。「主の教育と訓戒によって育てなさい」。親は主がなさるような教育をする必要がある。それでは主の教育の目標は何か。聖書の大切な戒めにあるように、第一に神様を愛するようになることである。それから隣人を愛するようになることである。ある親は、良い学校に入り、良い会社に入り、社会的地位を得て、財産をたくさん持つことを目標にするかもしれないが。神様がクリスチャンの親に与えられている子育ての目標は違う。それではどのようにしてそのように育てることができるのか。言葉と親の姿を通してである。親は繰り返し神様に従う事、隣人を愛する事がどんなに素晴らしいかを言葉と姿を通して教える必要がある。そのためには親の成長は欠かすことができないものである。
牧師 紺野 真和
この箇所には、最初に子供の責任が記されている。子供も大人と一緒に礼拝に出ていたのであろう。その子供たちに「主にあって、両親に従いなさい。これは正しいことだからです。」と記されている。従うと言っても、奴隷が主人に従うように、仕方がないから従うというのではない。尊敬と愛の心をもって従うのである。なぜ従うのか、それは神様が正しいと認められること、神様が喜ばれることだからである。そしてこの命令を守る子供たちに約束が与えられている。「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする」という約束です。なぜ、そうなるのか。第一に親は生きていくのに大切な事を子供たちに教えて行くからである。第二に、家庭は社会の基本単位である。子供が親に従うなら、家庭が安定し、強いては社会が安定するからである。第三に、親は神様の代理として立てられている。子供は親を通して神様がどのような方かを学ぶ。その結果、神様を知り霊的祝福に与るからである。
次に親の責任が記されている。「主の教育と訓戒によって育てなさい」。親は主がなさるような教育をする必要がある。それでは主の教育の目標は何か。聖書の大切な戒めにあるように、第一に神様を愛するようになることである。それから隣人を愛するようになることである。ある親は、良い学校に入り、良い会社に入り、社会的地位を得て、財産をたくさん持つことを目標にするかもしれないが。神様がクリスチャンの親に与えられている子育ての目標は違う。それではどのようにしてそのように育てることができるのか。言葉と親の姿を通してである。親は繰り返し神様に従う事、隣人を愛する事がどんなに素晴らしいかを言葉と姿を通して教える必要がある。そのためには親の成長は欠かすことができないものである。
by ybible63
| 2016-12-15 15:00
| ★礼拝説教要約