2016年 11月 19日
10月30日説教要約 |
「神の愛」(ルカ15章11~24節)
牧師 紺野 真和
ある人に二人の息子がいた。弟息子は、父に束縛されていていると感じ、自由になりたいと思っていた。そこで父から身代を分けてもらうと遠い国に旅立った。そこで放蕩三昧の生活をした。酒を浴びるほど飲み、ギャンブルをし、おかしく楽しく生活した。湯水のようにお金を使った。その後の彼の生活は悲惨であった。当時、ユダヤ人たちに忌み嫌われていた豚の世話をする仕事にありついたが、豚の餌で腹を満たしたいほどであった。以前彼の生活の土台になっていたのは何か?それはお金であった。お金が彼を支えていた。私たちは何を人生の土台にしているだろうか?富、名誉、仕事、能力、哲学などなどいろいろある。しかし、それらは人生の確かな土台になるだろうか。フルート奏者の紫園香さんは次のように書いている。「それまでの私にとって「能力」「経済的基盤」「健康」は人生を安泰に支えていくための三種の神器だった。しかしそれらは簡単に取り去られ、支えにならなかった。私は、世の中が変わっても、人が変わっても、自分すら変わっても、絶対変わらない「真理」がなければ一歩も進めない所まで追い詰められた。」永遠の人生の土台はあるのか。弟息子はどん底で我に返った。父の許に帰る決心をした。父の許に帰る姿は悲惨であった。体はやせ、頬はこけ、服はボロボロ、体から悪臭を放ち、気力もなかった。彼が帰ってきた時父はどうであったか。まだ家まで遠かったのに、父親は彼を見つけた。すなわち、父はずっと彼を愛していて、戻って来るのを待っていたのである。父は走り寄って彼を抱き、口づけした。父親は彼をありのままで愛していたのである。この父親は神様、息子は私たちのことを現している。神様はずっと私たちを愛している。神様の愛が私たちの永遠の人生の土台である。
牧師 紺野 真和
ある人に二人の息子がいた。弟息子は、父に束縛されていていると感じ、自由になりたいと思っていた。そこで父から身代を分けてもらうと遠い国に旅立った。そこで放蕩三昧の生活をした。酒を浴びるほど飲み、ギャンブルをし、おかしく楽しく生活した。湯水のようにお金を使った。その後の彼の生活は悲惨であった。当時、ユダヤ人たちに忌み嫌われていた豚の世話をする仕事にありついたが、豚の餌で腹を満たしたいほどであった。以前彼の生活の土台になっていたのは何か?それはお金であった。お金が彼を支えていた。私たちは何を人生の土台にしているだろうか?富、名誉、仕事、能力、哲学などなどいろいろある。しかし、それらは人生の確かな土台になるだろうか。フルート奏者の紫園香さんは次のように書いている。「それまでの私にとって「能力」「経済的基盤」「健康」は人生を安泰に支えていくための三種の神器だった。しかしそれらは簡単に取り去られ、支えにならなかった。私は、世の中が変わっても、人が変わっても、自分すら変わっても、絶対変わらない「真理」がなければ一歩も進めない所まで追い詰められた。」永遠の人生の土台はあるのか。弟息子はどん底で我に返った。父の許に帰る決心をした。父の許に帰る姿は悲惨であった。体はやせ、頬はこけ、服はボロボロ、体から悪臭を放ち、気力もなかった。彼が帰ってきた時父はどうであったか。まだ家まで遠かったのに、父親は彼を見つけた。すなわち、父はずっと彼を愛していて、戻って来るのを待っていたのである。父は走り寄って彼を抱き、口づけした。父親は彼をありのままで愛していたのである。この父親は神様、息子は私たちのことを現している。神様はずっと私たちを愛している。神様の愛が私たちの永遠の人生の土台である。
by ybible63
| 2016-11-19 11:21
| ★礼拝説教要約