2016年 09月 23日
9月11日礼拝説教要約 |
真の安心と心のよりどころ<マタイ11:28>
牧師 鳥居 完次
「安心」とは、心に心配や不安、恐れがなく心やすらかなことである。それは、心のよりどころが、本来あるべきところに定まっていることから来る。これこそ、万人が求めている。
1.「心」とは何か。いや、どこにあるのか。それは単なる脳内現象ではなく、創造主が「いのちの息」を吹き込まれたとき与えられた「神の(永遠の)いのち」である<創2:7>。しかも、それは本来「非常に良かった」<創1:31>。即ち、私たち人間の心は、神のいのちの息(永遠のいのち)のうちにしっかりと結びつき、そこには真の安心(平安)があった。
2.どうして、私たちの心に、恐れや心配、不安があるのか。入ってきたのか。心の真のよりどころである「神のいのち」の交わりから離れたからである。その「罪によって、死が入り」<ローマ5:12>、「神の(永遠の)いのち」を失った。それ故に、本来そこ(一人一人の心)にあった真の安心が失われ、代わりに心に不安や恐れ、心配が入ってきたのである。
3.真の安心と心のよりどころを持つことができる道はどこにあるのか。人は誰も自分で真の安心を生み出すことはできない。それができるのは、人に「いのちの息」を吹き込まれた神のみ。その通り、神は私たちひとり一人に特別仕様の「神の(永遠の)いのち」を、救い主イエス・キリストを通して届けてくださった<ヨハネ3:16>。各自が抱えている問題は、同じようでみな違う。故に、主は、ひとり一人にぴったり合った心の平安を用意し、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」<マタイ11:28>と、私たちが何度でも主に立ち返るのを待っておられる。
牧師 鳥居 完次
「安心」とは、心に心配や不安、恐れがなく心やすらかなことである。それは、心のよりどころが、本来あるべきところに定まっていることから来る。これこそ、万人が求めている。
1.「心」とは何か。いや、どこにあるのか。それは単なる脳内現象ではなく、創造主が「いのちの息」を吹き込まれたとき与えられた「神の(永遠の)いのち」である<創2:7>。しかも、それは本来「非常に良かった」<創1:31>。即ち、私たち人間の心は、神のいのちの息(永遠のいのち)のうちにしっかりと結びつき、そこには真の安心(平安)があった。
2.どうして、私たちの心に、恐れや心配、不安があるのか。入ってきたのか。心の真のよりどころである「神のいのち」の交わりから離れたからである。その「罪によって、死が入り」<ローマ5:12>、「神の(永遠の)いのち」を失った。それ故に、本来そこ(一人一人の心)にあった真の安心が失われ、代わりに心に不安や恐れ、心配が入ってきたのである。
3.真の安心と心のよりどころを持つことができる道はどこにあるのか。人は誰も自分で真の安心を生み出すことはできない。それができるのは、人に「いのちの息」を吹き込まれた神のみ。その通り、神は私たちひとり一人に特別仕様の「神の(永遠の)いのち」を、救い主イエス・キリストを通して届けてくださった<ヨハネ3:16>。各自が抱えている問題は、同じようでみな違う。故に、主は、ひとり一人にぴったり合った心の平安を用意し、「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」<マタイ11:28>と、私たちが何度でも主に立ち返るのを待っておられる。
by ybible63
| 2016-09-23 09:45
| ★礼拝説教要約